ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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どうも3日に記録を残しておいたほうが(カレンダー的に)良いような気がするので、つれづれ。
実は月曜日に、家電屋さんへ行った。
目的は、お昼ご飯を食べるため。
……経緯はこうだ。
正午過ぎに目覚めた→食べる物がない→気分転換も兼ねて外食するか→自転車に乗って、近くのファミレスへ→……更地になっていた!→同じ通りにあるマクドナルドへ→わざわざ外に出てきたのに、500円ちょっとのご飯かよ!となにやら理不尽な思いにかられ→その数軒先にあった家電ショップへ
というわけだったのです。
……おそらく理解はしてもらえまい。
というか自分でも良く分からない。笑
だってだって、せっかく自転車こいだんですよ?!
その成果がジャンクフードだけだなんて、そんなのって…!みたいなノリですか?
訊くな。
ともあれ、薄い動機ならあったのです、新しいノートパソコンが欲しい、という。
えー、朔の今こうして使ってるパソコンは、実に高校入学祝いに買ってもらったもので、実にこの4月で11年目に突入する…んですかねぇ?
FUJITSUのFMV―BIBLO NE4/50R って書いてあります、目の前に。
それなのに朔さんってば容赦なくデジカメ画像を縮小することもなくガンガン入れまくり、しまいには入れてる途中で心不全を起こし、仕方なく蘇生を試みてみた(※強制終了=電源を容赦なく落した)ものの、それ以来電源入れるたびにエラー表示からのスタートになるんですよ、ちゃんと毎回(……)正しく終了してるのに。
まぁ、アレですね。
買い換え時って言うか。
……そんなものはとっくの昔だぜって聞こえてきそうですね。笑
家電屋さんのお兄さんにも、フツーは大抵5年くらいで買い換えますって言われてしまいました。
まぁそんなことはおいといて。
とにかくパソコンのフロアをうろついてみてたんですが、何がなにやらさっぱり分からず。
そもそもこのパソコンも、結局何の機能を使ってるかって言えば
・Internet Explorer
・メモ帳
・ワード
・エクセル
・Outlook Express
・Microsoft Photo Editor
・ペイント
・Photo Effector
・FrontPage Express
それからソリティアなどの多少のゲーム機能のみ。
(翻訳機能とか、笑止!だったし。笑)
以上のうち、ネットとメモ帳とワードとエクセルとメール機能だったら、最新のどのパソコンでもほぼ変わらないんでしょうけど。
最悪、画像処理は出来なくても我慢するんですけど。
でもでも、どうしてもなくちゃ困るのが
・FrontPage Express
なんです。
これ、なんていう機能か名称はよく分からないんですけど、朔は『閑古鳥の啼く朝に』の方の管理はこれで全部やってるんです。
壁紙とかスクロールバーとか、表の設定とか、タグ打ちは好きに出来るし、正直これしか使ったことないから、最近のもの(ホームページビルダー?っていうんですか??)に対応できるかどうかずーっと不安で、パソコンが買い換えられなかったんですよねぇ。
しかも買った当時の記憶が曖昧だから、この機能が元から入ってたのか、外から入れたものなのかさっぱり分からないし。
途方に暮れて、パソコン見るのもそこそこにそういうソフトも見てみたんですけど、なーんかパッケージの説明見てもさっぱり分からないというか、
「これならテンプレートが入ってて超カンタン!」とか煽られても
「そんな使いづらいものじゃなくて、僕は自由に好き勝手したいんだぁぁぁ!!」
と叫びたくなったり。
しょうがなくまたパソコンコーナーに戻ったら店員のお兄さんに掴まり、
ソフト(機能?)がなくてもメモ帳から更新は出来ますよーと教えてもらいました。
実は↓の『stories of night』は、メモ帳で作成して更新してます。
転送サーバー(?)の設定とか、名称や仕組みがまったく分かってなくても、見様見真似でできちゃったしな……。
じゃあ新しいパソコンにFrontPage Expressなくても問題ないじゃん!買っちゃおうよ!とも思いますが……
うーん……でもあそこまでタグ打ちするのは正直メンドクサイ……。
そもそもこのタグの知識だって、誰に習ったわけでもなく、我流でやりたいことだけ覚えたものだから、自分で全部設定となるとどこまで対応できるか不安だし。
あぁ、やっぱぼくはFrontPage Expressとこの先も一緒に歩いていきたいです。
あの「基本的にメンドクサイところは全部やってくれる所・なのに自由に背景とか画像とか文字とかその他諸々を弄れる所」がすっごく好き。
探せばいろいろ最新のソフトもあるんでしょうが、そんなの探す暇も余裕もないしな~。
そして勉強する気もさらさらない。
朔はこのテのマニュアル本が大嫌い。
見様見真似で動かぬならいっそ壊れろホトトギス、の精神なのである。
とりあえず、購入は春ボーナスが入ってから★というタテマエで即決拒否してきたんで、さらに値段の安くなるお店を探しつつ、FrontPage Expressがどこかに存在しないか探してみようと思います。
……ふふふ、分かってますよ、今やVistaの時代だってことくらいは。
どうせ朔は98さ。
今朔が使ってるソフト?の仕様は、もはや型遅れなんだってことくらいはね!
それでも使い慣れたものが良いのだー!!
……それにしても、パソコンて本当に安くなりましたよねー。
11年前に買った価格の半額以下で買えちゃうんだから……。
実は月曜日に、家電屋さんへ行った。
目的は、お昼ご飯を食べるため。
……経緯はこうだ。
正午過ぎに目覚めた→食べる物がない→気分転換も兼ねて外食するか→自転車に乗って、近くのファミレスへ→……更地になっていた!→同じ通りにあるマクドナルドへ→わざわざ外に出てきたのに、500円ちょっとのご飯かよ!となにやら理不尽な思いにかられ→その数軒先にあった家電ショップへ
というわけだったのです。
……おそらく理解はしてもらえまい。
というか自分でも良く分からない。笑
だってだって、せっかく自転車こいだんですよ?!
その成果がジャンクフードだけだなんて、そんなのって…!みたいなノリですか?
訊くな。
ともあれ、薄い動機ならあったのです、新しいノートパソコンが欲しい、という。
えー、朔の今こうして使ってるパソコンは、実に高校入学祝いに買ってもらったもので、実にこの4月で11年目に突入する…んですかねぇ?
FUJITSUのFMV―BIBLO NE4/50R って書いてあります、目の前に。
それなのに朔さんってば容赦なくデジカメ画像を縮小することもなくガンガン入れまくり、しまいには入れてる途中で心不全を起こし、仕方なく蘇生を試みてみた(※強制終了=電源を容赦なく落した)ものの、それ以来電源入れるたびにエラー表示からのスタートになるんですよ、ちゃんと毎回(……)正しく終了してるのに。
まぁ、アレですね。
買い換え時って言うか。
……そんなものはとっくの昔だぜって聞こえてきそうですね。笑
家電屋さんのお兄さんにも、フツーは大抵5年くらいで買い換えますって言われてしまいました。
まぁそんなことはおいといて。
とにかくパソコンのフロアをうろついてみてたんですが、何がなにやらさっぱり分からず。
そもそもこのパソコンも、結局何の機能を使ってるかって言えば
・Internet Explorer
・メモ帳
・ワード
・エクセル
・Outlook Express
・Microsoft Photo Editor
・ペイント
・Photo Effector
・FrontPage Express
それからソリティアなどの多少のゲーム機能のみ。
(翻訳機能とか、笑止!だったし。笑)
以上のうち、ネットとメモ帳とワードとエクセルとメール機能だったら、最新のどのパソコンでもほぼ変わらないんでしょうけど。
最悪、画像処理は出来なくても我慢するんですけど。
でもでも、どうしてもなくちゃ困るのが
・FrontPage Express
なんです。
これ、なんていう機能か名称はよく分からないんですけど、朔は『閑古鳥の啼く朝に』の方の管理はこれで全部やってるんです。
壁紙とかスクロールバーとか、表の設定とか、タグ打ちは好きに出来るし、正直これしか使ったことないから、最近のもの(ホームページビルダー?っていうんですか??)に対応できるかどうかずーっと不安で、パソコンが買い換えられなかったんですよねぇ。
しかも買った当時の記憶が曖昧だから、この機能が元から入ってたのか、外から入れたものなのかさっぱり分からないし。
途方に暮れて、パソコン見るのもそこそこにそういうソフトも見てみたんですけど、なーんかパッケージの説明見てもさっぱり分からないというか、
「これならテンプレートが入ってて超カンタン!」とか煽られても
「そんな使いづらいものじゃなくて、僕は自由に好き勝手したいんだぁぁぁ!!」
と叫びたくなったり。
しょうがなくまたパソコンコーナーに戻ったら店員のお兄さんに掴まり、
ソフト(機能?)がなくてもメモ帳から更新は出来ますよーと教えてもらいました。
実は↓の『stories of night』は、メモ帳で作成して更新してます。
転送サーバー(?)の設定とか、名称や仕組みがまったく分かってなくても、見様見真似でできちゃったしな……。
じゃあ新しいパソコンにFrontPage Expressなくても問題ないじゃん!買っちゃおうよ!とも思いますが……
うーん……でもあそこまでタグ打ちするのは正直メンドクサイ……。
そもそもこのタグの知識だって、誰に習ったわけでもなく、我流でやりたいことだけ覚えたものだから、自分で全部設定となるとどこまで対応できるか不安だし。
あぁ、やっぱぼくはFrontPage Expressとこの先も一緒に歩いていきたいです。
あの「基本的にメンドクサイところは全部やってくれる所・なのに自由に背景とか画像とか文字とかその他諸々を弄れる所」がすっごく好き。
探せばいろいろ最新のソフトもあるんでしょうが、そんなの探す暇も余裕もないしな~。
そして勉強する気もさらさらない。
朔はこのテのマニュアル本が大嫌い。
見様見真似で動かぬならいっそ壊れろホトトギス、の精神なのである。
とりあえず、購入は春ボーナスが入ってから★というタテマエで即決拒否してきたんで、さらに値段の安くなるお店を探しつつ、FrontPage Expressがどこかに存在しないか探してみようと思います。
……ふふふ、分かってますよ、今やVistaの時代だってことくらいは。
どうせ朔は98さ。
今朔が使ってるソフト?の仕様は、もはや型遅れなんだってことくらいはね!
それでも使い慣れたものが良いのだー!!
……それにしても、パソコンて本当に安くなりましたよねー。
11年前に買った価格の半額以下で買えちゃうんだから……。
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カレンダーを見て、今日は書かないといけない日だった!と気付いたのが23時40分。
……何書こう……ということで、また日々考えていることをつらつらと。
朔は塾も予備校も大っ嫌いなので(他人のペースで教わるのが嫌・勉強にお金をかけたくない)、中3の夏に友達に誘われて近所の夏期講習会に参加した以外、学校以外で勉強をしたことがないのですが。
塾とか予備校って、「勉強」を教えるんじゃなくて、「点の取り方」を教えるらしいですね。
出題傾向に合わせて、とか、配点の大きいところから取り掛かれ、とかのテクニックを教えるところ。という認識で合ってるんでしょうか(?)。
朔は上記の通り学校でしか勉強したことないので、試験勉強の仕方とかも全部自己流でした。
定期テストの過去問なんて見たこともないし、出題傾向の分析なんて考えたこともなかった。
ただ授業中真面目に取ったノートを見直しして、テスト期間中のワークをちゃんと提出日までに仕上げて。
それで終わり。
本屋で参考書買ったり、なんてのもなかったし。
本当に、学校で最低限与えられたものだけ、やってた。
ずっとそれでやってたから、なんか入試が近付くにつれて、「点の取り方テクニック」として、「英語・国語は本文じゃなくて先に設問から読め」とか「現代文は後回し、先に古典からやって確実に点を取れ」はたまた「パラグラフ・リーディング」や「英語は逆接の接続語の後に注目!」とかって聞こえてきても、そんなのこれまでやったことなかったし、最後まで自己流を貫いたんですよねー。
うん。
問題は最初から順番どおりに解いていって、国語だって、まず本文をライン引きながら読んで、それから問題に目を通して、また本文に戻る。
でも、この方法で時間が足りなくなったこともなければ、大抵の塾行ってる子よりも成績良かった。
今、いろんな中学生たちを見てて思うのは、「点の取り方」だけ覚えて一体何になるんだろう、ということ。
国語や英語はまだいいんですよ、文法とか読解力って本当にすべての基本中の基本だと思うから。
露骨なのが理科とか社会の単元ごとに結構纏まってるヤツで、「古墳~奈良時代はほとんど入試に出ないからやらなくていい」とか、「ガスバーナーの使い方はテストに出るから覚えておけ」とか、そんなふうにテストで点を取るためにという名目の下、本来つながってるはずの知識を分断して無理矢理切り捨てたり覚えたり。
それって本当の「知識」になるんですかね?
そんなことするから、中1の歴史で「平安時代・国風文化・かな文字」を習っておきながら、中3の国語で古典を習った時に、平気な顔して「古今和歌集→万葉集→新古今和歌集」とか、採点してるこっちが頭の痛くなるような順番間違えをおこしたりするんですよ。
どうしたら「紫式部」が江戸時代の作家だという解答にたどりつくのか、訊いてみたいです。
分かってるのかな、すべては繋がってるってこと。
歴史で習ったことは歴史のテストの時にだけ覚えてればいいんじゃない。
国語で習ったことは、国語のテストでいい点を取るためだけに培った知識じゃない。
例えば、中1で習う地理の時差計算が出来るようになれば、中3の理科で習う天体の動きなんかもすごく分かりやすくなる(基本は同じだから)。
それらが出来て、しかも天気図なんかも描けるようになれば、某海賊マンガのように、お宝探して大海原へ冒険に出られる。笑
一番ひどいと思うのがやっぱり歴史で、歴史なんてテストに出る用語だけ呪文のように覚えて何が楽しいんですかね。
その裏にあるドラマや時代の流れを教えてあげるだけで、子どもは興味を持って自発的に覚えると思うんですけどね(例:ヘタリア)。
それを、ここは大事じゃないから覚えなくていい・ここは大事だから覚えろって……。
朔なんて大学入試の時、予備校にも結局行かなかったから、「本当に出るのか……?」とか思いながらもバカ正直に東南アジアとかアフリカとか、もんのっすごいマイナーな地域史まで覚えましたよ。
「全部知ってる=入試もバッチリ★」という考え方で。笑
入試に出るところだけ要領良く勉強してる人たちから見れば、バカみたいでしょうけど。
でも、たとえ入試に出ない内容でも、それを知っておくことで、植民地支配の時なぜ列強がこの地を欲したのか、どうやって取り込まれていったのか、異文化の伝播・浸透、現代に残る影響、とかがすんなり分かるようになってくる。
歴史を勉強する上で、いらない時代とかいらない国とか、ないと思うんですけどね。
たとえ入試に出なくても。
で、塾や予備校に行ってる子たちの中でも、頭のいい子っていうのは、ちゃんと点の取り方だけじゃなくて、その辺も理解できてるんですよ。
最悪なのは、塾の勉強だけがすべてになってる子。
これは定期テストには対応できても、実力テストが全然取れない。
そりゃそうですよね。
知識が分断されて、なんの意味も体系も形作らないままただ単に脳に詰め込んでるだけなんですから。
詰め込んだはずの知識をどう引き出していいのか分からない。
知識の整理が出来ない。
その結果、忘れていってしまう。
「これが大事だよ」「これはテストに出るよ」と教えられたことだけ鵜呑みにして、それでテストの点が上がると思ってるんならホントに笑っちゃいます。
「分からないとこはある?」と訊いても、自分が何を分かってて何が分かってないかすら把握できてない子たちのなんと多いこと。
自分が学習した内容に対して「なぜ?」と疑問にすら思わないのって、本当になぜ?だ。
テストなんて、学校の授業をちゃんと聞いて、分からないところに「なぜ?」と疑問を抱き、それが解決できるまで先生や友達に訊きまくれば自然と点は取れる。
ただそれだけのことなのに。
最近の子どもたちは、生まれた時からモノに囲まれ恵まれすぎて、「なぜ?」と能動的に動けなくなっちゃったんですかねぇ。
とにかく、むやみに塾に行きさえすれば成績が上がるとかは絶対に思わないで欲しいです。
行ったあと、自分がどう行動するかです。
結局のところ。
……何書こう……ということで、また日々考えていることをつらつらと。
朔は塾も予備校も大っ嫌いなので(他人のペースで教わるのが嫌・勉強にお金をかけたくない)、中3の夏に友達に誘われて近所の夏期講習会に参加した以外、学校以外で勉強をしたことがないのですが。
塾とか予備校って、「勉強」を教えるんじゃなくて、「点の取り方」を教えるらしいですね。
出題傾向に合わせて、とか、配点の大きいところから取り掛かれ、とかのテクニックを教えるところ。という認識で合ってるんでしょうか(?)。
朔は上記の通り学校でしか勉強したことないので、試験勉強の仕方とかも全部自己流でした。
定期テストの過去問なんて見たこともないし、出題傾向の分析なんて考えたこともなかった。
ただ授業中真面目に取ったノートを見直しして、テスト期間中のワークをちゃんと提出日までに仕上げて。
それで終わり。
本屋で参考書買ったり、なんてのもなかったし。
本当に、学校で最低限与えられたものだけ、やってた。
ずっとそれでやってたから、なんか入試が近付くにつれて、「点の取り方テクニック」として、「英語・国語は本文じゃなくて先に設問から読め」とか「現代文は後回し、先に古典からやって確実に点を取れ」はたまた「パラグラフ・リーディング」や「英語は逆接の接続語の後に注目!」とかって聞こえてきても、そんなのこれまでやったことなかったし、最後まで自己流を貫いたんですよねー。
うん。
問題は最初から順番どおりに解いていって、国語だって、まず本文をライン引きながら読んで、それから問題に目を通して、また本文に戻る。
でも、この方法で時間が足りなくなったこともなければ、大抵の塾行ってる子よりも成績良かった。
今、いろんな中学生たちを見てて思うのは、「点の取り方」だけ覚えて一体何になるんだろう、ということ。
国語や英語はまだいいんですよ、文法とか読解力って本当にすべての基本中の基本だと思うから。
露骨なのが理科とか社会の単元ごとに結構纏まってるヤツで、「古墳~奈良時代はほとんど入試に出ないからやらなくていい」とか、「ガスバーナーの使い方はテストに出るから覚えておけ」とか、そんなふうにテストで点を取るためにという名目の下、本来つながってるはずの知識を分断して無理矢理切り捨てたり覚えたり。
それって本当の「知識」になるんですかね?
そんなことするから、中1の歴史で「平安時代・国風文化・かな文字」を習っておきながら、中3の国語で古典を習った時に、平気な顔して「古今和歌集→万葉集→新古今和歌集」とか、採点してるこっちが頭の痛くなるような順番間違えをおこしたりするんですよ。
どうしたら「紫式部」が江戸時代の作家だという解答にたどりつくのか、訊いてみたいです。
分かってるのかな、すべては繋がってるってこと。
歴史で習ったことは歴史のテストの時にだけ覚えてればいいんじゃない。
国語で習ったことは、国語のテストでいい点を取るためだけに培った知識じゃない。
例えば、中1で習う地理の時差計算が出来るようになれば、中3の理科で習う天体の動きなんかもすごく分かりやすくなる(基本は同じだから)。
それらが出来て、しかも天気図なんかも描けるようになれば、某海賊マンガのように、お宝探して大海原へ冒険に出られる。笑
一番ひどいと思うのがやっぱり歴史で、歴史なんてテストに出る用語だけ呪文のように覚えて何が楽しいんですかね。
その裏にあるドラマや時代の流れを教えてあげるだけで、子どもは興味を持って自発的に覚えると思うんですけどね(例:ヘタリア)。
それを、ここは大事じゃないから覚えなくていい・ここは大事だから覚えろって……。
朔なんて大学入試の時、予備校にも結局行かなかったから、「本当に出るのか……?」とか思いながらもバカ正直に東南アジアとかアフリカとか、もんのっすごいマイナーな地域史まで覚えましたよ。
「全部知ってる=入試もバッチリ★」という考え方で。笑
入試に出るところだけ要領良く勉強してる人たちから見れば、バカみたいでしょうけど。
でも、たとえ入試に出ない内容でも、それを知っておくことで、植民地支配の時なぜ列強がこの地を欲したのか、どうやって取り込まれていったのか、異文化の伝播・浸透、現代に残る影響、とかがすんなり分かるようになってくる。
歴史を勉強する上で、いらない時代とかいらない国とか、ないと思うんですけどね。
たとえ入試に出なくても。
で、塾や予備校に行ってる子たちの中でも、頭のいい子っていうのは、ちゃんと点の取り方だけじゃなくて、その辺も理解できてるんですよ。
最悪なのは、塾の勉強だけがすべてになってる子。
これは定期テストには対応できても、実力テストが全然取れない。
そりゃそうですよね。
知識が分断されて、なんの意味も体系も形作らないままただ単に脳に詰め込んでるだけなんですから。
詰め込んだはずの知識をどう引き出していいのか分からない。
知識の整理が出来ない。
その結果、忘れていってしまう。
「これが大事だよ」「これはテストに出るよ」と教えられたことだけ鵜呑みにして、それでテストの点が上がると思ってるんならホントに笑っちゃいます。
「分からないとこはある?」と訊いても、自分が何を分かってて何が分かってないかすら把握できてない子たちのなんと多いこと。
自分が学習した内容に対して「なぜ?」と疑問にすら思わないのって、本当になぜ?だ。
テストなんて、学校の授業をちゃんと聞いて、分からないところに「なぜ?」と疑問を抱き、それが解決できるまで先生や友達に訊きまくれば自然と点は取れる。
ただそれだけのことなのに。
最近の子どもたちは、生まれた時からモノに囲まれ恵まれすぎて、「なぜ?」と能動的に動けなくなっちゃったんですかねぇ。
とにかく、むやみに塾に行きさえすれば成績が上がるとかは絶対に思わないで欲しいです。
行ったあと、自分がどう行動するかです。
結局のところ。
いやぁ。今日もまた笑わせてもらいました。笑
◆問題「下線部(満州事変)の時、占領地から撤退するよう求めた国際連盟に対して、日本はどのような態度をとったか述べよ」
◆快答1「反抗的」
◆快答2「無視」
……あっははは、なんじゃそら。笑
まー、ホントに中2の女の子たちってすごいこと!
しかしこうして改めて快答をみてみると、あながち「間違い」ではないんですよねぇ。
確かに反抗的だし、(当然かつ正論である)要求を無視してる。笑
まぁ、それが学校の試験になると、模範解答「国際連盟を脱退した」以外の答えは×ということになってしまうのですが。
いまさらだけど、学校教育って理不尽だなぁ。
ぼくはむしろ、快答を導き出したお嬢さんたちの方が大好きだ!!笑
そして、そう思う自分を自覚するたびに、「学校の試験でいい点取るのがそんなにエライのか」という究極的な疑問へと回帰してしまう。
うーん、でもなぁ。
答えが出ないんだ、これに関しては。
強いて言うなら、「エライ・偉くない」じゃなくて、「やって当たり前」のことを「やる・やらない」じゃないのかなぁ、と思ったり。
しかし日本国憲法の面白い(?)ところで、「子どもに普通教育を受けさせる義務」が親に課され、子どもには「教育を受ける権利」はあるのに、「教育を受ける義務」なんてものは、ナイんだよなぁ。
つまりは、子どもが勉強するかしないかは親の責任で、子ども自身には強制されていない、というなんとも中途半端なもの。
話が横に逸れてしまったけれど(いつものコト)、
世の大人が多かれ少なかれ労働を義務として課されているように、
学生であるうちは、勉強することが義務なのだと、
朔は思うのですよ。
ましてや義務教育中は、何をか言わんやという勢いで。
で、どうせ勉強しなきゃいけないんなら、テストの点はいい方が気持ちいいじゃないですか。
いい点取れたら、また次もガンバローって思うし、臨時のお小遣いなんかももらえちゃって(笑)、いい事づくしだと思うんですけどねぇ。
授業内容にちゃんとついていけてたら、授業が苦にもならずに学校も楽しいし。
その上、将来の選択肢も広がる。
まぁ、一石二鳥とどころか一石四鳥ですわよ、奥さん!!
それに、きちんと勉強をするというのは、ただ成績を上げるってことだけじゃなくて、「社会から求められている責任を果たす」ってことだと、今は考えるようになりました。
ネギぼーずさんのブログに以前ちらっと「勉強する癖」と「学ぶ基礎」について書かれてあったんですけど、それに朔は深く頷いたんです。
子どもがどうして学校に行って勉強しなくちゃいけないかって、
それはたぶん、
教科書を丸暗記するためじゃなくて、「勉強する癖」をつけるためなんじゃないかな、
って。
たとえば、今朔が接している子どもで、将来の夢や憧れが「声優さん」という子、結構います。
勉強の得意でない子ほど、一見夢物語のような目標を持ってたりします。
「いつまでもそんな夢みたいなこと言ってないで、現実を見なさい」とは言いません。
でも、思うのですよ。
今、「英語キライ、数学分かんない、やりたくない」って言ってる子が、いざ本当にそういう養成所や専門学校に入った時、何かちょっとした壁や違和感にぶつかって、「想像してたのと違った、もうやーめた」ってすぐに諦めるんじゃないかな。って。
子どもが勉強を通じて身につけるように求められてるのって、「苦手なことにも我慢強く取り組む姿勢」とか、「向上心」「出来る喜び」じゃないでしょうか。
それさえ身に付けられれば、どの道に進んでも、そこでさらに知識を吸収してステップアップしていくことができる。
逆にそれが身に付けられなかった子は、結局どこへ行っても、伸びない、続かない、成長しない。
子どものうちに、そういった社会に出てからも通用する「学ぶ基礎」を身に付けて欲しくて、手っ取り早く「義務教育」なんて制度を取っているんじゃないでしょうか。
まぁこれは朔が学生を終えて、丸2年ほど中学生に接しているうちにたどり着いた私見なのですが。
学生の頃は、朔も思いましたよ、「平方根なんて知って何になる!」って。笑
でも、「平方根」に意味があるんじゃなくて、「学ぶこと」それ自体に意味があったのだなぁ、と今になって思います。
「大人」を見ていると、学歴に関わらず、いろんな本を読んでいろんな経験を積み重ねてきた人の方が断然厚みがあるし、面白い!
そういう人は、失敗してもへこたれない強さもある。
一部の才能ある人々には当てはまらないかもしれませんが、まだ確たる目標がなくて、まだまだ何にだってなれる可能性を秘めている子どもたちには、是非とも目の前にある勉強に専念して欲しいものです。
本当にやりたい目標が見付かったとき、「勉強する癖」を身につけておけば、上達もはやいですよ!
◆問題「下線部(満州事変)の時、占領地から撤退するよう求めた国際連盟に対して、日本はどのような態度をとったか述べよ」
◆快答1「反抗的」
◆快答2「無視」
……あっははは、なんじゃそら。笑
まー、ホントに中2の女の子たちってすごいこと!
しかしこうして改めて快答をみてみると、あながち「間違い」ではないんですよねぇ。
確かに反抗的だし、(当然かつ正論である)要求を無視してる。笑
まぁ、それが学校の試験になると、模範解答「国際連盟を脱退した」以外の答えは×ということになってしまうのですが。
いまさらだけど、学校教育って理不尽だなぁ。
ぼくはむしろ、快答を導き出したお嬢さんたちの方が大好きだ!!笑
そして、そう思う自分を自覚するたびに、「学校の試験でいい点取るのがそんなにエライのか」という究極的な疑問へと回帰してしまう。
うーん、でもなぁ。
答えが出ないんだ、これに関しては。
強いて言うなら、「エライ・偉くない」じゃなくて、「やって当たり前」のことを「やる・やらない」じゃないのかなぁ、と思ったり。
しかし日本国憲法の面白い(?)ところで、「子どもに普通教育を受けさせる義務」が親に課され、子どもには「教育を受ける権利」はあるのに、「教育を受ける義務」なんてものは、ナイんだよなぁ。
つまりは、子どもが勉強するかしないかは親の責任で、子ども自身には強制されていない、というなんとも中途半端なもの。
話が横に逸れてしまったけれど(いつものコト)、
世の大人が多かれ少なかれ労働を義務として課されているように、
学生であるうちは、勉強することが義務なのだと、
朔は思うのですよ。
ましてや義務教育中は、何をか言わんやという勢いで。
で、どうせ勉強しなきゃいけないんなら、テストの点はいい方が気持ちいいじゃないですか。
いい点取れたら、また次もガンバローって思うし、臨時のお小遣いなんかももらえちゃって(笑)、いい事づくしだと思うんですけどねぇ。
授業内容にちゃんとついていけてたら、授業が苦にもならずに学校も楽しいし。
その上、将来の選択肢も広がる。
まぁ、一石二鳥とどころか一石四鳥ですわよ、奥さん!!
それに、きちんと勉強をするというのは、ただ成績を上げるってことだけじゃなくて、「社会から求められている責任を果たす」ってことだと、今は考えるようになりました。
ネギぼーずさんのブログに以前ちらっと「勉強する癖」と「学ぶ基礎」について書かれてあったんですけど、それに朔は深く頷いたんです。
子どもがどうして学校に行って勉強しなくちゃいけないかって、
それはたぶん、
教科書を丸暗記するためじゃなくて、「勉強する癖」をつけるためなんじゃないかな、
って。
たとえば、今朔が接している子どもで、将来の夢や憧れが「声優さん」という子、結構います。
勉強の得意でない子ほど、一見夢物語のような目標を持ってたりします。
「いつまでもそんな夢みたいなこと言ってないで、現実を見なさい」とは言いません。
でも、思うのですよ。
今、「英語キライ、数学分かんない、やりたくない」って言ってる子が、いざ本当にそういう養成所や専門学校に入った時、何かちょっとした壁や違和感にぶつかって、「想像してたのと違った、もうやーめた」ってすぐに諦めるんじゃないかな。って。
子どもが勉強を通じて身につけるように求められてるのって、「苦手なことにも我慢強く取り組む姿勢」とか、「向上心」「出来る喜び」じゃないでしょうか。
それさえ身に付けられれば、どの道に進んでも、そこでさらに知識を吸収してステップアップしていくことができる。
逆にそれが身に付けられなかった子は、結局どこへ行っても、伸びない、続かない、成長しない。
子どものうちに、そういった社会に出てからも通用する「学ぶ基礎」を身に付けて欲しくて、手っ取り早く「義務教育」なんて制度を取っているんじゃないでしょうか。
まぁこれは朔が学生を終えて、丸2年ほど中学生に接しているうちにたどり着いた私見なのですが。
学生の頃は、朔も思いましたよ、「平方根なんて知って何になる!」って。笑
でも、「平方根」に意味があるんじゃなくて、「学ぶこと」それ自体に意味があったのだなぁ、と今になって思います。
「大人」を見ていると、学歴に関わらず、いろんな本を読んでいろんな経験を積み重ねてきた人の方が断然厚みがあるし、面白い!
そういう人は、失敗してもへこたれない強さもある。
一部の才能ある人々には当てはまらないかもしれませんが、まだ確たる目標がなくて、まだまだ何にだってなれる可能性を秘めている子どもたちには、是非とも目の前にある勉強に専念して欲しいものです。
本当にやりたい目標が見付かったとき、「勉強する癖」を身につけておけば、上達もはやいですよ!
も、もーダメだ。
傑作すぎて笑いが止まらない!
さて。
別に恒例でもシリーズ化でもありませんが、「今日の快答」です。
えー、今回ご紹介しますのは、中学3年生の男の子の作品です。
◆問題「He speaks the most slowly of the seven.を和訳せよ」
◆快答「彼は7時にしゃべることで有名だ。」
……はいぃ??ですよね!笑
これ、本気なんです。
それにしても、なんというぶっとんだ発想なんだ!!
もうこれを見た瞬間、「えっ、じゃあその男の人は7時になったら自動的にしゃべり出すん?? ってゆーか、それ以外の時間はしゃべらんの!?」ってのが頭の中を駆け巡って、その場を想像したらもう笑いが止まりませんでした。笑
どんな人物だ、それ!!(なぜか、食い倒れ人形のイメージ)
あーもー、ここまで意味不明に読み間違えると、この子が高校生になって長文に取り組んだ時、どんな迷訳が誕生するのか……
すっごく!! 見てみたい!!
いや、そらもー、ひとりでまったく別の物語を創り上げていくんだろうなぁ。ニヤニヤ
いいね、新高1。
若さ爆発だね。笑
たくさん間違えて、でっかい大人になっていって下さい!
傑作すぎて笑いが止まらない!
さて。
別に恒例でもシリーズ化でもありませんが、「今日の快答」です。
えー、今回ご紹介しますのは、中学3年生の男の子の作品です。
◆問題「He speaks the most slowly of the seven.を和訳せよ」
◆快答「彼は7時にしゃべることで有名だ。」
……はいぃ??ですよね!笑
これ、本気なんです。
それにしても、なんというぶっとんだ発想なんだ!!
もうこれを見た瞬間、「えっ、じゃあその男の人は7時になったら自動的にしゃべり出すん?? ってゆーか、それ以外の時間はしゃべらんの!?」ってのが頭の中を駆け巡って、その場を想像したらもう笑いが止まりませんでした。笑
どんな人物だ、それ!!(なぜか、食い倒れ人形のイメージ)
あーもー、ここまで意味不明に読み間違えると、この子が高校生になって長文に取り組んだ時、どんな迷訳が誕生するのか……
すっごく!! 見てみたい!!
いや、そらもー、ひとりでまったく別の物語を創り上げていくんだろうなぁ。ニヤニヤ
いいね、新高1。
若さ爆発だね。笑
たくさん間違えて、でっかい大人になっていって下さい!
中学生ってねー、すごいなー。
◆今日の快答。
「フランシスコ・ザビエル→■の伝来」
という穴埋め問題がありまして。
勿論■の部分には「キリスト教」が入るわけですが。
中学1年生の女の子がやってくれました。
彼女の解答⇒「キリストの伝来」!!
す…っごいね!!
キリスト、日本にまで来ちゃったんだね!!(てかいつの時代の話だ、ソレ)
もう爆笑で、ひとり笑いを堪えるのが大変でした。
思い出しても笑える……。
こんなに笑ったのは、小学6年生の女の子が、
「今から500年前は何時代ですか」という問題で、
「昭和」と書いてくれた時以来でした。笑
500年前が昭和って……。
ああ、平成生まれの考えることってオソロシイ。笑
時々こういう珍答・名答がありまして。
思わず「すごいなー」と感心してしまったのが、
3年生の男の子が古今和歌集の仮名序の部分の問題で、
「下線部のやまとうたとは何ですか」という質問に、
「山と歌」と堂々と解答してあった時です。(※正答は「和歌」)
いやー、まっ、よく考えたもんだ!
しかしキミ、本文をまったく読んでないだろう!!笑
いやはや。
子供の発想力って自由だ!(そういう問題でもない。笑)
そんな読み間違い・書き間違いを爆笑しながら見てたら、ふと同志社大の過去問を解いていた時に、国語の問題で、(ブレスの位置を妙なところに置いてしまったがために)「蛍の光」の歌詞の中にナゾの生物「ゾケサ」が出てくるので、何のことか分からなかった、とかいう現代文が載っていたのを思い出しました(しかも筆者は、この「ゾケサ」に、別れの哀愁のような共感を寄せていた)。
いやー、アレを自宅で解いてみたときに、もうお腹の皮がよじれんばかりに笑ってしまって、「もし本当に今年の入試でもこんな抱腹絶倒な問題が出てきたらどうしよう! 絶対笑う! 試験どころじゃなくなってしまう! 同志社、なんてオソロシイんだ!!」とか思いました。笑
ちなみにこの現代文を読んで朔の頭の中に繰り広げられたのは、
「ムーミンに出てくるような、なんかモップおばけみたいなワサワサした生き物(ゾケサ)が、群をなして夕日に向かって歩いている(こちらに背を向けて)。しかもその群は、夕日に向かう途中で2つの群に分かれてしまい、ゾケサたちは無言のうちに(彼らは言葉を持たない)、背中で別れを惜しんでいる。しかし彼らは歩き続けねばならないのであった……」
的なものでした。
なんであれが試験問題だったのか、やっぱり受験者を笑い地獄に突き落とすのが目的だったのでしょうか。
ちなみに朔が受けた年は、残念ながら笑えるような問題はなかったです。
あ、そうだ。
朔自身の「読み間違い」で、中学生の頃長文読解にチャレンジでしてたら、"fireworks"の意味が分からず、そのままとりあえず読み進めていったんですね。
そしたら「夜、急に空が明るくなった」とか「音が聞こえた」とかあって、なんとなーく語感から「火事」のことかな??とか思いながら読んでると、「fireworks を見るために、友人と一緒に丘に登った」「綺麗だった」とかあったわけですよ。
びっくりですよ。
「えぇっ?!(そんな不謹慎な問題を中学生に読ませるかな?)」とか思ったんですけど(そういう穿ち方をする中学生が朔です)、しょうがないから「火事」のまま和訳しました。
でも一番だれがびっくりしたって、たぶん採点した先生でしょうね。笑
外国語って、1つの単語を読み間違えただけで、まったく別のお話になるから面白い。笑
◆今日の快答。
「フランシスコ・ザビエル→■の伝来」
という穴埋め問題がありまして。
勿論■の部分には「キリスト教」が入るわけですが。
中学1年生の女の子がやってくれました。
彼女の解答⇒「キリストの伝来」!!
す…っごいね!!
キリスト、日本にまで来ちゃったんだね!!(てかいつの時代の話だ、ソレ)
もう爆笑で、ひとり笑いを堪えるのが大変でした。
思い出しても笑える……。
こんなに笑ったのは、小学6年生の女の子が、
「今から500年前は何時代ですか」という問題で、
「昭和」と書いてくれた時以来でした。笑
500年前が昭和って……。
ああ、平成生まれの考えることってオソロシイ。笑
時々こういう珍答・名答がありまして。
思わず「すごいなー」と感心してしまったのが、
3年生の男の子が古今和歌集の仮名序の部分の問題で、
「下線部のやまとうたとは何ですか」という質問に、
「山と歌」と堂々と解答してあった時です。(※正答は「和歌」)
いやー、まっ、よく考えたもんだ!
しかしキミ、本文をまったく読んでないだろう!!笑
いやはや。
子供の発想力って自由だ!(そういう問題でもない。笑)
そんな読み間違い・書き間違いを爆笑しながら見てたら、ふと同志社大の過去問を解いていた時に、国語の問題で、(ブレスの位置を妙なところに置いてしまったがために)「蛍の光」の歌詞の中にナゾの生物「ゾケサ」が出てくるので、何のことか分からなかった、とかいう現代文が載っていたのを思い出しました(しかも筆者は、この「ゾケサ」に、別れの哀愁のような共感を寄せていた)。
いやー、アレを自宅で解いてみたときに、もうお腹の皮がよじれんばかりに笑ってしまって、「もし本当に今年の入試でもこんな抱腹絶倒な問題が出てきたらどうしよう! 絶対笑う! 試験どころじゃなくなってしまう! 同志社、なんてオソロシイんだ!!」とか思いました。笑
ちなみにこの現代文を読んで朔の頭の中に繰り広げられたのは、
「ムーミンに出てくるような、なんかモップおばけみたいなワサワサした生き物(ゾケサ)が、群をなして夕日に向かって歩いている(こちらに背を向けて)。しかもその群は、夕日に向かう途中で2つの群に分かれてしまい、ゾケサたちは無言のうちに(彼らは言葉を持たない)、背中で別れを惜しんでいる。しかし彼らは歩き続けねばならないのであった……」
的なものでした。
なんであれが試験問題だったのか、やっぱり受験者を笑い地獄に突き落とすのが目的だったのでしょうか。
ちなみに朔が受けた年は、残念ながら笑えるような問題はなかったです。
あ、そうだ。
朔自身の「読み間違い」で、中学生の頃長文読解にチャレンジでしてたら、"fireworks"の意味が分からず、そのままとりあえず読み進めていったんですね。
そしたら「夜、急に空が明るくなった」とか「音が聞こえた」とかあって、なんとなーく語感から「火事」のことかな??とか思いながら読んでると、「fireworks を見るために、友人と一緒に丘に登った」「綺麗だった」とかあったわけですよ。
びっくりですよ。
「えぇっ?!(そんな不謹慎な問題を中学生に読ませるかな?)」とか思ったんですけど(そういう穿ち方をする中学生が朔です)、しょうがないから「火事」のまま和訳しました。
でも一番だれがびっくりしたって、たぶん採点した先生でしょうね。笑
外国語って、1つの単語を読み間違えただけで、まったく別のお話になるから面白い。笑