ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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カレンダーを見て、今日は書かないといけない日だった!と気付いたのが23時40分。
……何書こう……ということで、また日々考えていることをつらつらと。
朔は塾も予備校も大っ嫌いなので(他人のペースで教わるのが嫌・勉強にお金をかけたくない)、中3の夏に友達に誘われて近所の夏期講習会に参加した以外、学校以外で勉強をしたことがないのですが。
塾とか予備校って、「勉強」を教えるんじゃなくて、「点の取り方」を教えるらしいですね。
出題傾向に合わせて、とか、配点の大きいところから取り掛かれ、とかのテクニックを教えるところ。という認識で合ってるんでしょうか(?)。
朔は上記の通り学校でしか勉強したことないので、試験勉強の仕方とかも全部自己流でした。
定期テストの過去問なんて見たこともないし、出題傾向の分析なんて考えたこともなかった。
ただ授業中真面目に取ったノートを見直しして、テスト期間中のワークをちゃんと提出日までに仕上げて。
それで終わり。
本屋で参考書買ったり、なんてのもなかったし。
本当に、学校で最低限与えられたものだけ、やってた。
ずっとそれでやってたから、なんか入試が近付くにつれて、「点の取り方テクニック」として、「英語・国語は本文じゃなくて先に設問から読め」とか「現代文は後回し、先に古典からやって確実に点を取れ」はたまた「パラグラフ・リーディング」や「英語は逆接の接続語の後に注目!」とかって聞こえてきても、そんなのこれまでやったことなかったし、最後まで自己流を貫いたんですよねー。
うん。
問題は最初から順番どおりに解いていって、国語だって、まず本文をライン引きながら読んで、それから問題に目を通して、また本文に戻る。
でも、この方法で時間が足りなくなったこともなければ、大抵の塾行ってる子よりも成績良かった。
今、いろんな中学生たちを見てて思うのは、「点の取り方」だけ覚えて一体何になるんだろう、ということ。
国語や英語はまだいいんですよ、文法とか読解力って本当にすべての基本中の基本だと思うから。
露骨なのが理科とか社会の単元ごとに結構纏まってるヤツで、「古墳~奈良時代はほとんど入試に出ないからやらなくていい」とか、「ガスバーナーの使い方はテストに出るから覚えておけ」とか、そんなふうにテストで点を取るためにという名目の下、本来つながってるはずの知識を分断して無理矢理切り捨てたり覚えたり。
それって本当の「知識」になるんですかね?
そんなことするから、中1の歴史で「平安時代・国風文化・かな文字」を習っておきながら、中3の国語で古典を習った時に、平気な顔して「古今和歌集→万葉集→新古今和歌集」とか、採点してるこっちが頭の痛くなるような順番間違えをおこしたりするんですよ。
どうしたら「紫式部」が江戸時代の作家だという解答にたどりつくのか、訊いてみたいです。
分かってるのかな、すべては繋がってるってこと。
歴史で習ったことは歴史のテストの時にだけ覚えてればいいんじゃない。
国語で習ったことは、国語のテストでいい点を取るためだけに培った知識じゃない。
例えば、中1で習う地理の時差計算が出来るようになれば、中3の理科で習う天体の動きなんかもすごく分かりやすくなる(基本は同じだから)。
それらが出来て、しかも天気図なんかも描けるようになれば、某海賊マンガのように、お宝探して大海原へ冒険に出られる。笑
一番ひどいと思うのがやっぱり歴史で、歴史なんてテストに出る用語だけ呪文のように覚えて何が楽しいんですかね。
その裏にあるドラマや時代の流れを教えてあげるだけで、子どもは興味を持って自発的に覚えると思うんですけどね(例:ヘタリア)。
それを、ここは大事じゃないから覚えなくていい・ここは大事だから覚えろって……。
朔なんて大学入試の時、予備校にも結局行かなかったから、「本当に出るのか……?」とか思いながらもバカ正直に東南アジアとかアフリカとか、もんのっすごいマイナーな地域史まで覚えましたよ。
「全部知ってる=入試もバッチリ★」という考え方で。笑
入試に出るところだけ要領良く勉強してる人たちから見れば、バカみたいでしょうけど。
でも、たとえ入試に出ない内容でも、それを知っておくことで、植民地支配の時なぜ列強がこの地を欲したのか、どうやって取り込まれていったのか、異文化の伝播・浸透、現代に残る影響、とかがすんなり分かるようになってくる。
歴史を勉強する上で、いらない時代とかいらない国とか、ないと思うんですけどね。
たとえ入試に出なくても。
で、塾や予備校に行ってる子たちの中でも、頭のいい子っていうのは、ちゃんと点の取り方だけじゃなくて、その辺も理解できてるんですよ。
最悪なのは、塾の勉強だけがすべてになってる子。
これは定期テストには対応できても、実力テストが全然取れない。
そりゃそうですよね。
知識が分断されて、なんの意味も体系も形作らないままただ単に脳に詰め込んでるだけなんですから。
詰め込んだはずの知識をどう引き出していいのか分からない。
知識の整理が出来ない。
その結果、忘れていってしまう。
「これが大事だよ」「これはテストに出るよ」と教えられたことだけ鵜呑みにして、それでテストの点が上がると思ってるんならホントに笑っちゃいます。
「分からないとこはある?」と訊いても、自分が何を分かってて何が分かってないかすら把握できてない子たちのなんと多いこと。
自分が学習した内容に対して「なぜ?」と疑問にすら思わないのって、本当になぜ?だ。
テストなんて、学校の授業をちゃんと聞いて、分からないところに「なぜ?」と疑問を抱き、それが解決できるまで先生や友達に訊きまくれば自然と点は取れる。
ただそれだけのことなのに。
最近の子どもたちは、生まれた時からモノに囲まれ恵まれすぎて、「なぜ?」と能動的に動けなくなっちゃったんですかねぇ。
とにかく、むやみに塾に行きさえすれば成績が上がるとかは絶対に思わないで欲しいです。
行ったあと、自分がどう行動するかです。
結局のところ。
……何書こう……ということで、また日々考えていることをつらつらと。
朔は塾も予備校も大っ嫌いなので(他人のペースで教わるのが嫌・勉強にお金をかけたくない)、中3の夏に友達に誘われて近所の夏期講習会に参加した以外、学校以外で勉強をしたことがないのですが。
塾とか予備校って、「勉強」を教えるんじゃなくて、「点の取り方」を教えるらしいですね。
出題傾向に合わせて、とか、配点の大きいところから取り掛かれ、とかのテクニックを教えるところ。という認識で合ってるんでしょうか(?)。
朔は上記の通り学校でしか勉強したことないので、試験勉強の仕方とかも全部自己流でした。
定期テストの過去問なんて見たこともないし、出題傾向の分析なんて考えたこともなかった。
ただ授業中真面目に取ったノートを見直しして、テスト期間中のワークをちゃんと提出日までに仕上げて。
それで終わり。
本屋で参考書買ったり、なんてのもなかったし。
本当に、学校で最低限与えられたものだけ、やってた。
ずっとそれでやってたから、なんか入試が近付くにつれて、「点の取り方テクニック」として、「英語・国語は本文じゃなくて先に設問から読め」とか「現代文は後回し、先に古典からやって確実に点を取れ」はたまた「パラグラフ・リーディング」や「英語は逆接の接続語の後に注目!」とかって聞こえてきても、そんなのこれまでやったことなかったし、最後まで自己流を貫いたんですよねー。
うん。
問題は最初から順番どおりに解いていって、国語だって、まず本文をライン引きながら読んで、それから問題に目を通して、また本文に戻る。
でも、この方法で時間が足りなくなったこともなければ、大抵の塾行ってる子よりも成績良かった。
今、いろんな中学生たちを見てて思うのは、「点の取り方」だけ覚えて一体何になるんだろう、ということ。
国語や英語はまだいいんですよ、文法とか読解力って本当にすべての基本中の基本だと思うから。
露骨なのが理科とか社会の単元ごとに結構纏まってるヤツで、「古墳~奈良時代はほとんど入試に出ないからやらなくていい」とか、「ガスバーナーの使い方はテストに出るから覚えておけ」とか、そんなふうにテストで点を取るためにという名目の下、本来つながってるはずの知識を分断して無理矢理切り捨てたり覚えたり。
それって本当の「知識」になるんですかね?
そんなことするから、中1の歴史で「平安時代・国風文化・かな文字」を習っておきながら、中3の国語で古典を習った時に、平気な顔して「古今和歌集→万葉集→新古今和歌集」とか、採点してるこっちが頭の痛くなるような順番間違えをおこしたりするんですよ。
どうしたら「紫式部」が江戸時代の作家だという解答にたどりつくのか、訊いてみたいです。
分かってるのかな、すべては繋がってるってこと。
歴史で習ったことは歴史のテストの時にだけ覚えてればいいんじゃない。
国語で習ったことは、国語のテストでいい点を取るためだけに培った知識じゃない。
例えば、中1で習う地理の時差計算が出来るようになれば、中3の理科で習う天体の動きなんかもすごく分かりやすくなる(基本は同じだから)。
それらが出来て、しかも天気図なんかも描けるようになれば、某海賊マンガのように、お宝探して大海原へ冒険に出られる。笑
一番ひどいと思うのがやっぱり歴史で、歴史なんてテストに出る用語だけ呪文のように覚えて何が楽しいんですかね。
その裏にあるドラマや時代の流れを教えてあげるだけで、子どもは興味を持って自発的に覚えると思うんですけどね(例:ヘタリア)。
それを、ここは大事じゃないから覚えなくていい・ここは大事だから覚えろって……。
朔なんて大学入試の時、予備校にも結局行かなかったから、「本当に出るのか……?」とか思いながらもバカ正直に東南アジアとかアフリカとか、もんのっすごいマイナーな地域史まで覚えましたよ。
「全部知ってる=入試もバッチリ★」という考え方で。笑
入試に出るところだけ要領良く勉強してる人たちから見れば、バカみたいでしょうけど。
でも、たとえ入試に出ない内容でも、それを知っておくことで、植民地支配の時なぜ列強がこの地を欲したのか、どうやって取り込まれていったのか、異文化の伝播・浸透、現代に残る影響、とかがすんなり分かるようになってくる。
歴史を勉強する上で、いらない時代とかいらない国とか、ないと思うんですけどね。
たとえ入試に出なくても。
で、塾や予備校に行ってる子たちの中でも、頭のいい子っていうのは、ちゃんと点の取り方だけじゃなくて、その辺も理解できてるんですよ。
最悪なのは、塾の勉強だけがすべてになってる子。
これは定期テストには対応できても、実力テストが全然取れない。
そりゃそうですよね。
知識が分断されて、なんの意味も体系も形作らないままただ単に脳に詰め込んでるだけなんですから。
詰め込んだはずの知識をどう引き出していいのか分からない。
知識の整理が出来ない。
その結果、忘れていってしまう。
「これが大事だよ」「これはテストに出るよ」と教えられたことだけ鵜呑みにして、それでテストの点が上がると思ってるんならホントに笑っちゃいます。
「分からないとこはある?」と訊いても、自分が何を分かってて何が分かってないかすら把握できてない子たちのなんと多いこと。
自分が学習した内容に対して「なぜ?」と疑問にすら思わないのって、本当になぜ?だ。
テストなんて、学校の授業をちゃんと聞いて、分からないところに「なぜ?」と疑問を抱き、それが解決できるまで先生や友達に訊きまくれば自然と点は取れる。
ただそれだけのことなのに。
最近の子どもたちは、生まれた時からモノに囲まれ恵まれすぎて、「なぜ?」と能動的に動けなくなっちゃったんですかねぇ。
とにかく、むやみに塾に行きさえすれば成績が上がるとかは絶対に思わないで欲しいです。
行ったあと、自分がどう行動するかです。
結局のところ。
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