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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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2024.04.30 (Tue)
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土曜日、湯木美術館に行ってきました~♪
  

 湯木美術館は、日本料理店「吉兆」の創業者でもある湯木貞一氏の個人コレクションを展示する美術館です。
 湯木貞一さんも、近代お数寄者の1人と数えていいのかな……?(どこからが近代で、どこからが現代かよく分からん
 茶道を非常に好まれ、コレクションの中には重文なども含まれています。
 最近「なごみ」を読み始めて、湯木さんに興味が出てきたところだったのです。
 丁度ご招待チケットを入手しましたので、これ幸いと行ってみました

 今回の展示は時期によって3つのパートに分かれていて、朔が行ったのはⅠ期です。
 Ⅰ期の見どころは、やはり重要文化財の志野茶碗、銘「広沢」!
 待合に、高原杓庵さん(茶杓博士として有名だった人らしい)の書いた広沢を紹介?する口上が軸になって掛かってたんですけど、それ、すごく面白かったです。
  わたくしは広沢志野子でございます。
 で始まるんですよ!笑
 専門の職員さんがいなかったので詳しいことは分からなかったのですが、どうも名古屋のお茶会に登場した時のものらしいです(それを口上中では「実は東京(五島美術館)にお座敷がかゝっていますのを、途中下車してこうしていゝ気分でよろめいております」と表現している)。
 中に「金城茶会」という名前も出てくるのですが、何でしょう、名古屋の有名な茶会かな?と思います。
 朔は新卒後の3年半を名古屋支社で過ごしましたが、お稽古はずっと京都に通っていたので、名古屋のお茶会とか全然知らないです……。
 あんなに毛嫌いせずに、少しは交流してみれば良かったかな、と少し反省。
 でも当時は、京都じゃないというだけで(あと近くに本屋がないし)大ッ嫌いだったんです!!
(名古屋の人、すみません。名古屋が悪いんじゃないです。親戚もいるし、友達もいるし、お世話になった人もいるし。単に気分の問題です。朔と京都を引き離しやがって!という
 そしてこの口上の中に、1つ気になる名前があったので、ちょっと調べてみようかなぁと思ったり。

 広沢以外に面白いなぁと思ったのは、やっぱり長次郎(楽家の初代)の作品を見れたことと、あとやっぱり!実際に茶室を摸して展示してあったケースです
 3月、ということもあり、釣釜で再現?していたのですが、その釜、朔が先生のお宅で見ているような鎖じゃなくて、棒(「真塗大徳寺棒 益田鈍翁所持」とある)で吊ってあるんですよ!
 なんか、今は鎖が主流になってるけど、昔は自在(棒)が多かったんだとか。
 そして、やっぱり出てきた益田鈍翁!笑
 他にも、松永耳庵、久原房之助、赤星弥之助等等。
 近代日本の立役者、江戸時代の大名家などなど、名家のオンパレード。笑
 そして思い出すのは、京極堂シリーズの榎木津さん 
 いいね、わくわくするね、どんな時代、どんな関わり、どんな交流をしてたんだろう
 
 あ、でも、なごみで読んだ感じでは、湯木貞一氏本人はどうも表流だったようなのに、どうして3月が釣釜だったのかな?
 裏は3月が釣釜だけど、表は違ってた、よね……?
 そして、茶室の腰張!
 腰張が、なんと昔の会記になってて面白かったです
 なんでも、貞一氏の四女さんがまだ結婚する前のお茶会のものらしい。
 ……と説明されても、お会いしたこともないので、どんな方かは存じ上げませんが。笑
 大阪市内のホテルで、大女将?をされているようです。

 茶碗を単体で見た時に、朔がいいな~と思ったのは、
 一番最初に見た「禾目天目」(南宋時代)と、「銹絵暦茶碗」(仁阿弥道八/江戸時代)です
 天目茶碗の美しさは言うに及ばず
 天目茶碗は、16世紀半ばまで主流で、1560年前後から濃茶茶碗=天目茶碗、薄茶茶碗=高麗焼、というように使われるようになったのだそう。
 ちなみに、桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元)が丁度1560年です。笑
 秀吉の文禄の役・慶長の役が「やきもの戦争」って異名を持つことなんて、今回初めて知ったしね。
(これをきっかけに朝鮮半島から陶工を多数連行し、そこから国内での唐津焼、高取焼、萩焼が始まったのだとか。やってることが、日本人拉致問題みたいと思う朔……。)
 歴史もさー、もっとこう、文化面と即して教えてくれたら、興味も出るし、覚えやすいのにね。
 朔は高校で日本史やらなかったけど、中学生の頃、この辺りのとにかく人の名前と戦いの名前を、意味も分からずただ暗記するのがものすごーく苦痛でした
 暦手については、もうこれはしょーがない。
 だって朔は、このデザイン好きなんだもの。
 暦手だというだけで、引き寄せられるんだもの。
 蒔絵とか色絵とかも、そりゃ素敵だけどさー。
 暦手、好きです
 しかも作者は仁阿弥道八
 脱線しますが、仁阿弥道八、青木木米、奥田頴川……。
 このあたりのメンツが、当時どんな風に関わり合っていたのか……。
 小説とか漫画とかにしたら、ものっすごい面白いだろうな~と妄想する今日この頃。笑
 だって!
 みんな当時のスーパープロフェッショナル!
 その上、仕事に就いたり家を継いだりするの、めっちゃはやい!
 年齢差もまた萌。笑
 利休、春屋宗園(大徳寺の僧侶)、宋旦(利休の孫)、この3人とかも面白そう。笑
 本を読めば読むほど、縦だけじゃなくて横のつながりとかも見えてくるので、本気で日本史やりたくなって困ってしまう。
 でもつまみぐいしてる時が一番楽だし楽しいんだよな~

 夜は、朔企画のプチ同窓会でした
 小学校5、6年生の時のクラス会、関西在住メンバーで。
 女子はみんな土日休みで時間厳守だったにも関わらず、男子はみんな仕事で、1時間前後の遅刻という、なんとも象徴的なスタートになりました。笑
 いや~、みんな大人になったんですね~
 小学生の頃って男子の方が精神年齢低いから、大人になるとそのギャップに驚かされますな。笑
 女子とは4時間、男子とは3時間くらい話してたんですけど、いろんな話、今だから言える好きだった人の話とか、聞けて楽しかったです。
 朔は自分でいうのもアレですけどずっと優等生で、教師陣からも可愛がられてて、当時深刻ないじめとかないのんびりした学校だったので、結構今にして知る事実(実は家庭が荒れてたとか、誰それが付き合ってたとか、中学校卒業後グレた人のこととか)が多くてびっくり。
 う~ん、やっぱ優等生してると、そういう裏情報?って耳に入らないようになってるんだなぁ……。
 今にして思うと、ホントに友達も、先生も、真綿で包むように接してくれてたんだなぁと……。

 そして全員から、朔の見た目が当時から全然変わってないと連呼されました。
 当時って……小学生から?
 最初は冗談というか「見た目が若い」というお愛想だと思って聞き流してたんですけど、お酒が進んでさらに連呼されるので、複雑な感じに
 だって、2パターンしかないですよね?
 当時から老けてたか、未だに童顔か。
 朔は女の子たち見て、「綺麗になったなー。お姉さんだなー。垢抜けたっていうかー」と思ってたんですけど……。
 朔だけ、可愛くなったも綺麗になったもナシですかいッ?!
 身長のことはほっといてくれッ!
 くそぅ、ウソでもいいから、そこはおだてとけよなッ。笑
 あ~あ、なんだかなー。

 実は今回の同窓会は、朔が前回25歳の時に予告しておいたものを、時期を間違えて開催してしまったものだったのですが、みんな快く集まってくれて良かったです。
 なんか、これをきっかけに男子はみんなで映画に行くみたいですよ。笑
 そういうところに、当時の面影が垣間見えて笑える

 ああそうか。朔は当時から、こうやって傍観者してるのが楽しかったのかな~と思う今日この頃です。
 朔が当時仲良かった子は、転校生&可愛い女の子だったことにも気付きました。
 当時好きだった子の告白で、男子全員朔が当時一番仲良かった子を挙げるのも面白かったです。笑
 朔、男子目線で友達作ってたのか??

 次は、夏頃集まれればな~と思います

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