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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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2024.11.23 (Sat)
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 今日は金曜日!
 博物館は19時半まで開館なので、仕事終わりに行ってきました
  

 あぁ~、イタリア旅行ももう……あれ、何年前だっけ
 いや~、もう最近、大学時代の記憶なんて早くもおぼろげで

 いやー、朔にも若い頃があったんですねぇ……。

 ま、それはおいておいて、ヴェネツィア展に行ってきました。
 丁度18時から学芸員さんによるギャラリートークもあったので参加してみました
 そのお話によると、今回の展示のコンセプトは、単に芸術としての絵画や工芸品を見てもらうんじゃなくて、絵画や工芸品などの作品を通して「ヴェネツィア」を知ってもらうことだそうです。
 だから、朔が「へぇ 」と思った作品の1つに絵画『レパントの海戦』(アンドレア・ミキエッリ/1571-1600年/同蔵)があったんですけど、これ、あの世界史で習う“レパントの海戦”ですよ!
 朔は相変わらず芸術に疎いので、この作者が有名な人なのかどうかは分かりませんが、レパントの海戦なら習いました!
 ので、思わず「おぉっ」となった次第です。
 そして改めて絵画を眺めて、「ってゆーか、こんなに船が密集しとったん? こんなん、作戦も何も身動きすらままならんのじゃ……」とか思ったわけです。笑
『船の模型:ガレー船』(17世紀/コッレール美術館蔵)とかもあって面白い!
 そうそう、今回の展示、朔は絵画とか工芸品よりも、このガレー船の模型とか、めっちゃでかい当時の『地球儀』(ヴィンチェンツォ・コロネッリ/1688年/同蔵)とか、水路沿いに建った邸宅の内部がどうなってるのか、模型で見せてくれるやつとか、『世界航海図』(バッティスタ・アニェーゼ/1551年9月1日/同館図書室蔵)とか、『地中海の海図』(17世紀中頃/同蔵)とか、他にも天体観測儀とか諸々の、工作系というか懐古浪漫系というか、天文系、古地図系とか、そんなものにとっても惹かれました
 地球儀は、なんとちゃんと日本もあったんですよー!(でも北海道が、大陸とくっついてましたけど

 古地図系は、ポスターというか額装できるようなサイズのものがあればミュージアムショップで購入しようと思ったのに、無くて残念……(ブックカバーならあったんですけど、布に縮小プリントしているので、めっちゃぼやけて見える


 でも、やっぱり一回行ったことのある都市に光をあててこうして見てみると、「あ、ここ行った!」「あ~、ここで写真撮った!」「うん、見た見た!」とか、ギャラリートークを聞いてても、「うん、ガイドさんも同じこと言ってた)ってゆーのがたくさんあって、すごく懐かしかったです。
 もう一回行きたいぞ、ヴェネツィア
 出来れば今度は夏に、毎年7月の第3日曜に行っているらしい「レデントーレ」なるお祭りを見てみたい!
 カーニバルも気になるけど、前回は冬に行ったので、今度は夏がいい!!
 狭い路地で思いっきり迷子になりたいぞーーーーっ!
 
 はぁ、楽しかった。笑
 こちら、会期は9月23日までになってますので、興味のある方は是非行って見て下さい

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京都水族館&祇園祭
2012.07.15 (Sun)
行ってきました、京都デート
 はりきって、1年ぶりの生足&サンダルです!笑

 いや~、今日もお天気に恵まれました
 昨日は夕方から突然雨が激しく降りだしたり(そしてすぐ止む)、夜には雷が光ったりしてたのですが、今日は穏やかに晴れました。
 まぁ蒸し暑かったわけですが。笑

 さて今日のデート。
 5月末にあった定例茶会の時から、後輩と「行こう!」と言っていたものです。
 でもなかなかお互いの都合が合わず、今日やっと行けることになったのですが、ついでだから祇園祭の宵宵山も覗いてみようということになり、3時スタート夜までコースとなったわけです

 3時に水族館前で待ち合わせしたのですが、先に着いたらしい後輩から「チケット購入&入場が1時間待ち」とメール貰った時は驚きました。
 東京旅行でもろくに並ばなかったのに、まさか京都で並ぶことになるとは……、と。
 先週の木曜日の新聞だったかな? 
 京都新聞にて、この3連休、京都のホテルはほぼ満室という記事が紹介されてました。
 チケット購入のために並んでるお客さんの中にも、ゆかた姿の人がちらほら。
「祇園祭ってここから歩いて行ける?」等という雑談もあちこちから聞こえてくる(ちなみに、行けないことはないけど、かなり遠いです。やめといた方が吉)。
 やっぱりみんな考えることは同じか~(=暑いうちは水族館で時間つぶして、夕方涼しくなったら祇園祭へ)と思いつつ列に並び、ついに手に入れました、年間パスポート
 へっへっへ、これでいつでも好きな時に行けるぜっ!

 まぁ正直、展示内容についてはそれほど期待していなかったのですが(内陸地だし、梅小路公園だし、なんか小さそうだし)、期待してなかった分、大満足な水族館でした
 話には聞いてましたが、本当に動物たちと近い
 旭山動物園に始まる(でしたっけ?)アザラシがトンネルをくぐって近くまで会いに来る、とか、狭いガラス張りのブースに入れば水中から魚たちの様子を覗いているように観察出来るとか、そういう今となってはベタな演出も取り入れつつ、こんじんまりと無難に楽しめます。
 大水槽↓とか、思いっきり沖縄の美ら海水族館のミニチュア版ですが、だからといって感動が減るわけでもナシ。
  
 綺麗なものは綺麗だし。
 個人的には、カメが一緒に泳いでるのがなんか笑えました。笑
 ペンギンだって、こんなに近くなんだぜっ
  

 そして、17時開始のイルカショー(最終公演)にも行ったのですが、実はコレ、もうすんごい人混みで、まったく見えませんでした。笑
 で、ショーが終わってお客さんの大半が帰ってしまってから、休憩がてらシートに座ってたら、なんとそのままイルカたちの訓練がはじまったのです

 ハイ、こっちの方が特等席でバッチリ見れました
 しかも、心なしか調教師?飼育員?のおねえさん方も素で楽しんでやっている様子。
 ジャンプはもちろん、歌ったり、背びれにおねえさんをつかまらせて一緒に泳いだり、胸びれで手を振るようにしながら泳いだり、尻尾を大きく動かしてバタ足してるみたいにバシャバシャ水をはねさせてみたりと、訓練中の技も観ることができて、楽しかったです
 
 しっかり休憩した後、試しに歩いて京都駅まで戻ったのですが、もうヨユーで歩けました。
 拍子抜けするくらい。
 行きは京都駅から京阪バスで220円だったんですが、それが馬鹿らしくなりますよ~
 やっぱ次から行く時は、家からチャリですな。

 京都駅でちょっと甘いもの食べてから、次は地下鉄に乗って四条へ!
 思い起こせば去年、辻回しを観に行って死にそうになった(殺人的な人混みに殺されそうになった)祇園祭。
 巡行を観に行くのはもう止そうと思った祇園祭。
 でも性懲りもなく、今年は宵宵山を観に行く朔さん。笑
 あはははは、地下鉄下りた瞬間からすごい人混みで、左側通行で流されるまま歩いた末、ようやく地上に出られたのは、大丸のデパ地下を通りぬけて1階に上がった結果ですよ!
 なんだこの人混み!!
 でも外に出てみて納得、すでに四条通は歩行者天国となっており、完全に左側通行で道路の真ん中にはロープが張られ、警察の人が立って誘導してました。
 んが。
 大丸から地上に出た朔さんたちは、すでに完全に長刀鉾に背中を向けている状態。
 このまま歩行者天国に流されていると、鉾からどんどん遠ざかってしまう。
 そこで急遽ロープを掻い潜り、反対側(通りの南側)の西行きの流れへ。
 そうしてゆっくりゆっくり進む流れに合わせて歩いた末、ようやく見えてきた長刀鉾さんが↓。
  
 毎年17日の山鉾巡行の日、「くじ取らず」の長刀鉾と呼ばれ必ず先頭を進む鉾です。
 現在、唯一の生稚児(「いきちご」人形ではなく、本物の少年)を乗せる鉾でもあります。
 このお稚児さんが注連縄を切ることで八坂神社に続く神域への結界を開き、山鉾の巡行がはじまるわけで、まぁ祇園祭においては特別な鉾なのであります

 その長刀鉾を見たらとりあえず満足し、次は屋台へ。
 京都駅でレモンのチーズケーキ食べたけど、ご飯ではないもんね。笑
 しばらく烏丸通を南下しつつ、香港風焼きそば食べたりして、でもここもすごい人混みで、進めば進む程身動きが取れなくなり、結局仏光寺通まで下がった時には、「うん、もう長刀鉾も見たし、祭りの雰囲気も味わった」と、帰ることになりました。笑
 そこからソッコーで地下道にもぐりこみ、駅までUターン。
 まぁ普段運動しない人間の体力なんてこんなもんです

 地下鉄乗って(これまたすごい人混み)、マンションに戻ってきたら、もう21時過ぎですよ~。
 そこからソッコーでエアコン点けて(東京旅行以来、すっかりエアコンに頼るくせが……)、歯を磨いて、お風呂入りました
 今ようやく、涼しい部屋で汗のべたつきもなく、疲れた足をソファに乗せてくつろいでます。
 でも恐ろしく眠い……。

 明日は『年の差ひとつ。』と『終焉の世界』の更新を出来るよう、今日はもう寝ます!

 ぐっすり眠って疲れを取るぞ~!

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夏越しの祓
2012.06.30 (Sat)
今日は水無月の晦。
 というわけで、半年間の厄を落とすために女人厄除祈願所である市比賣神社にやって来ました
  

 市比賣神社、実はお参りするのは初めてです。
 河原町通を走る市バスの中から、へ~、そんな神社があるんや~って眺めてただけで。
 本当は上賀茂神社か下鴨神社に行こうと思ってたんですけど、見事に予定の合う友達がおらず、ひとりで足をのばすのもな~と思って、歩いて行ける神社にしたのです。
 丁度一昨日くらいに、新聞に夏越しの祓のお知らせも載ってたし。

 ええ、歩いて行きました。
 昨日から微熱が続いているにも関わらず。
 や~、体調悪いのにあくまで予定通りに行動してしまうあたり、適切な判断が出来ていないというか、やっぱ熱あるんだなーと納得してしまいますよ。笑
 それでも途中で倒れたくはないので、出掛ける前に水を飲んで(朔にしてはチョー珍しい!!)、ハンカチに保冷剤をくるんで行きました。
 保冷剤ないと死ぬ……。
 結果、今こうして無事に家に帰ってきております。

 茅の輪、ちゃんと「蘇民将来の子孫なり」って(心の中で)言いながら、8の字でくぐってきましたよ
 姫おみくじ(つなビィ。に写メが)引いたら、小吉でした!
 旅行ははやく出発せよですって。笑
 わ~、来週の東京旅行が楽しみだなぁ~

 あ。れ?
 厄落としと無病息災を祈願に行ったのに、行く前から発熱してるってどういうこと?!
 ということに今気付きました
 あはははは……。

 気を取り直して、この後劇場の上映を行います!
 今回も「年の差ひとつ。」!

 それでは皆様、下半期も宜しくお願い致します

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茶会
2012.06.24 (Sun)
行ってきました~
  
 ↑は、本来なら7月から着るはずの夏のきもの。
 透け透けです。笑
 団扇は、いつかの祇園祭でもらったもの。
 7月になったら祇園祭が始まりますね~。
 今年の山鉾巡行(17日)は丁度3連休の次の日ということで、はてそれが吉と出るか凶と出るか。
 まぁ間違いなく3連休中の宵山や宵々山はすごい人出になるでしょう。
 そしてそんな中、朔は茶道部時代の後輩と、京都水族館&祭り見物に繰り出そうとしております。笑
 近くに住んでるくせになんでわざわざそんな人混みで混雑しそうな時に出掛けるのか自分でも理解に苦しみますが、まぁ楽しみです。笑

 あ、茶会のことだった。
 朔は暑いの嫌いなので、季節を先取りしてもう夏のきもので行ってきたわけですが、亭主側の人は皆さん単衣、お客さんも単衣が多かったです。
 お客さんの中には、襦袢だけは夏用、って方もいましたけど。
 皆さん、さすがです……。
 朔には耐えられません……。
 一ヵ月前、袷から単衣になった時にも、その軽さに感動しましたが、夏用のきものになるとさらにその軽さに感動です。笑
 でも、いくら軽くても、透けてても、重ねれば暑いんですよーーーーーー!!
 ああ、詐欺だ……。
 それでも、透け感があるからか、やっぱり朔は、ゆかたよりはきものの方が涼しそうに見えると思ってしまいます。
 まぁあくまで外見だけですけど。
 足元は断然ゆかた(裸足)の方が涼しげですけどね。

 今日のお茶会、たくさんの箱書とか、千家十職のお道具とか、そういういかにもな“茶道具”よりも、朔は平茶碗に感動しました。
 だって、平茶碗!!
 今日の平茶碗、ほーんとうに平べったくて、深さが1cmあるかどうか?!って感じだったんですよ!
 ほとんどお皿ですよ!笑
 朔、そんな浅いお茶碗で抹茶なんか点てられません!
 茶筅を振った瞬間、絶対に茶碗の外へ飛び散ります!笑
 それなのに、ああ、ちゃんとお抹茶になってる……!
 すごすぎます!
 余談ですけど、平茶碗と貴人茶碗(そして天目茶碗も)、どちらの方が点て難いのか……。
 平茶碗は平たすぎるし、貴人も天目も台の上でぐらぐらするし茶筅を振るには底が狭いし……。
 いやいや、今日の平茶碗が最強かな……。
 お茶会って、道具組みを見る楽しみもありますけど、やっぱり美味しいお抹茶を提供出来てこそだなぁと改めて感じました。
 どんなに点前を完璧に覚えても、どんなに高価なお道具を揃えても、お抹茶がマズかったらお話になりませんものね……。
 幸いにして、美味しいお抹茶を点てるということならば朔にも練習次第で可能な事柄なので、頑張ります!
 お道具はね……。
 一生かかっても、茶会を開けるくらいの物持ちにはね、なれないでしょうからね……。
 はぁぁぁ……。

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同志社女子大学の栄光館で行われた講演会に行って参りました

  
 ♥で隠したところには整理番号があるのですが、新聞にお知らせが載ってすぐに応募したにも関わらず、600番台半ばでした。
 すごいなぁ。
 会場は↓。
  
 講堂の座席は素晴らしく前後の間隔が狭く、身長が150センチに満たない朔でさえ、座ると膝が前の席の背もたれにぶつかるという有様。笑
 腰から膝に掛けて、ずっと突っ張ってる状態ですよ。
 一体皆さん、どうやって座席に収まっていたのか、首を傾げるばかりです。
 でも、荷物を置くスペースすらなかったので皆さん膝に荷物を置いていて、足をどんな風に折り曲げているのかは分かりませんでした。
 まぁとにかくあの狭さには驚きました。笑
 2階席までほぼ満席状態で、朔と同年代の方よりも、もう定年されてるような年代の方の方が多かったです。

 さて、朔が今回の講演会になぜ参加したかというと、ご高齢ということもあり、生きておられるうちにドナルド・キーンさんをこの目で見たかったしお話を聞いてみたかったからです
 今年、ドナルド・キーンさんが日本人に帰化したという新聞記事をお読みになった方も多いと思いますが、キーンさんはコロンビア大学の名誉教授であり、日本文学・文化の研究者として第一線で活躍されていた(いる)方です。
 御歳89歳

 朔は、大学の英語の授業で、キーンさんの自伝(自伝じゃないかも?)を読んだことから、キーンさんに興味を持ちました。
 米海軍の日本語学校で日本語を学び、大戦中は通訳を務めたことや、京都に留学していた時は泉涌寺近くに下宿し、日本人の「お出かけですか」「ちょっとそこまで」という会話が何やねん?みたいな話を読んだことを、今でもおぼろげに覚えています。
 今日の講演会はそれらを骨子に肉付けするような内容のお話を聴けました。
・大戦中に一緒に通訳官として働いたのが、オーティス・ケーリ(同志社大学設立者の新島譲と同じくアーモスト大学の卒業生で、同志社大学に派遣されてきたアメリカ人。後の同志社大学名誉教授)で、彼がキーンさんに泉涌寺近くの下宿を紹介した(それをキーンさんは「国宝級の下宿」と冗談めかして表現)。
・その下宿で出会ったのが、永井道雄氏(元文部大臣)で、そこから日本の古典文学だけでなく、当時の現代文学にも興味を持つようになった(最初キーンさんは、アメリカ帰りの永井氏に会うと、英会話の練習相手をさせられるだろうと、敬遠していたそう。逆に永井氏は、キーンさんに会うと日本文学について難しいことを訊かれるだろうと思い、互いに顔を合わせることを避けていたそう。笑)。
・当時、谷崎純一郎氏は京都に住んでおり、東京在住のエドワード・G・サイデンスティッカー氏が英訳した『細雪』の原稿を東京から谷崎宅まで届けたことから、親交が生まれた。(それについてキーンさんは、「(サイデンスティッカー氏は)日本の郵便を信じていなかったから(自分が届けるよう頼まれた)」と。笑)
・京都の四季では、冬が好き。理由は、修学旅行生がいないから。(この発言に、会場内では笑いとちらほら拍手が。笑)
・クラシック音楽全般好きだが、特にオペラが好き。オペラの台本は、文学として読むととても読めた代物じゃないひどいものだけど(笑)、それが音楽に乗って声に出されると、それらを超えるから。
 キーンさんはユーモアもあり、他にもいろいろとお話が聴けて本当に良かったです。
 本当に日本を愛してるんだなぁというのが伝わってきました

 そうそう、冷泉家25代当主である冷泉為人さんのお話も聴きました。 
 冷泉家は藤原定家に連なる和歌の家ですが、婿養子である為人さんの専門は近世絵画だったのですね
 枕草子の構成から大和絵へと話を運び、そこから「日本人とは」というお話をされました。
 時間にしてたった30分程度のお話だったので、そこまで深く突っ込んだ内容でもなく、まぁ良くある
「日本人って、お宮参りして、教会で結婚式やって、お寺でお葬式挙げるよね」⇒「とにかく何でも受け入れるのが得意」=「受容的民族」
 何故なら自然との関わり方を見たときに、「日本人は自然と一体となって理解しようとする(=親和的、受容的)」から。ex.八百万の神
 つまり日本人は、「多様なものを多様なものとして認める」ことが出来る=「情趣による理解を行う」ので、「何でも日本人の感性に合わせて変容させて、受け入れていく」=「ゆるやかな規則」←日本人の得意とするもの
 それに対して一神教の欧米では、自然との関わり方を見たときに、「自然を人間の都合に組み変えようとする」=「理知的理解」
 というような流れでお話は進みました。
 そこら辺で時間切れになってしまい、ご本人も仰っていたように「尻切れトンボ」の講演に
 朔としては、↑のような一般論ではなく、最後の方でちらっと仰っていた、パスカルの言葉「やわらかき魂(美を意識するのに必要なものらしい)」とか、キーンさんの著書に出てくる「たおやめぶり」「ますらおぶり」に見る日本人観のお話の方が詳しく聴きたかったのですが……。
 それにしても冷泉為人氏の講演は、脱線話の方が面白かったです。笑
 人物紹介の時に「(同志社大学とは)隣組のような」と言われたことを受けて、一番近く(隣)から来ました、とか。笑
 長年町内会長をしているけど、「人家」は町内に自分のところしかないとか(周囲は同志社大学とか御所など)。笑
 その関係で、アーモスト館(元は学生寮)に国勢調査の用紙を届けに行ったとこがあるとか。笑
 大学時代(院生時代?)に『枕草子』を再読して、こんなに何でも知ってる女性がカノジョだったら大変だと思ったとか。笑
 そして、そんなことを言いつつ、自身は伝統と格式の冷泉家の婿養子というこの矛盾。笑
 昨年末のお茶事で為人氏の短冊を拝見しましたが、実は朔の先生が為人氏とは同郷のご友人だと知ったのは、その後のお稽古の時でした。 
 なるほど、そういう繋がりだったのか
 最後に蛇足ですが、司会進行役の元某新聞社の人が、「冷泉家」のことを「れいぜんけ」と言うのがどうにも引っ掛かりました……。
 はぁ……。
 そりゃ、字面を見ればそう読めないこともないけどさぁ……。
 講演者の名字、しかもあの冷泉家ですよ? 現代に残る唯一の定家の子孫ですよ? 時雨亭文庫の継承者ですよ? それを、元とはいえ新聞社に勤めてた人が間違いますかねぇ……。
 逆に、紙面での字面しか追ってなかったから、読み方を勘違いしてしまったのでしょうか……。
 初っ端からがっくりしてしまいました。

 講演中の写真撮影は、席の移動をしない範囲で、フラッシュをたかなければOKだったので、記念にパシャリ。
  ↓真ん中がキーンさん、黄色のネクタイが為人氏です
  
 ピントぼけぼけですみません……。

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