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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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20世紀少年
2008.09.29 (Mon)
観てきましたーーー!!

 平日の朝1番に行ったので、予想通り空いてて快適でした★

 原作は、浪人時代に高校の補習科仲間で後に上智に進学した友達から借りて読んでました。
 たしか11巻くらいまで。
 その後互いに大学進学で離れて、しょうがないから10巻から自分で買って読みました。
 なぜ10巻からかというと、キリが良いから。笑
 なので、最初の方ってもうぼんやりとしか覚えてないんですよねー。
 その状態で映画を観てきて、もうはじまった瞬間、これは全然知らない物語になってしまった…!とちょっと焦ったのは内緒。笑
 パンフのインタビューとかにも、とにかく原作を忠実に再現することを心掛けて、アングルとかにまでこだわった、ってあったのを読んでたから、なおさら焦る焦る。笑
 コンビニ炎上とか、ライブに殴り込み?とか完全に忘れてましたー。
 そもそもはじまりって、刑務所の漫画家からでしたっけ……?
 てっきり、カンナが巨大ロボットを見るシーンからだと思ってました。
 思い込みってオソロシイですね。

 で、肝心の感想ですが。
 もうケンヂがかっこいいかっこいい!
 いや、行動は原作でも勿論かっこいいんですが、映画の唐沢さんが、ね。
 ビジュアル的に。笑
 いやー、唐沢さんならテンマでもいけるよね!とか場違いな感想を抱きながら観てました。
 MONSTERの映画化も、テンマ役は絶対日本人でしてほしいですなー。

 話が逸れました。
 改めまして、オッチョがかっこいいかっこいい!!笑
 正直、原作のオッチョより好きだ!
 原作の子供時代オッチョはもうちょっと大人びてるっていうか、ケンヂたちと遊びながらも、一歩大人への道を先に歩き始めててケンヂたちを引いた位置から見てる子かなーという印象だったんですけど、イヤミ?な部分がなかった!
 歳相応の仲間になってたよ!

 改めて考えてみると、原作の方にはもっと個々のにおいがあったかなー。
「うちはうち、他所は他所」と言われていた時代のにおいというか、いつも一緒に遊んでる仲間でも、その背景には家庭環境による貧富の差があって(映画の中でも、ケンヂの家にはTVがあってもドンキーの家にはTVがない)、仲が良くたってみんな一緒なわけじゃない、人は1人1人違うものなんだ、って子どもでも肌で感じてた時代のにおいというか。
 今の世の中、子どもが「だってみんな持ってる」って言えば、親は大抵のものを買い与えますからね。
 だけどケンヂたちの子ども時代にはそんなの夢のまた夢で、だからこそケンヂたちは、自分と他者は違うってことを頭じゃなくて根っ子の部分で感じ取ってたり、今ないからこそそれを手に入れる「明日」を夢みることができる。
 そんな70年代の孤独感とパワーを原作からは感じていたのですが。

 それが映画では、前述の通りオッチョはちょっとリーダーシップのある子って感じに収まり、あのドンキーでさえ、ちょっと変わった子止まりだったのが、惜しいなーと思いました。
 ま、今後のストーリー展開には差し支えないし、尺的に無難な感じにまとまってて良かったと思うんですけど。
 というか、すごいと思います、まとめられたんだから。

 でもやっぱ、ストーリーを楽しむなら原作かな。
 おまけに、時系列に迷った時は読み返しが出来るしね。笑
 音楽は勿論映画の方がすごいけど。
 ケンヂが夜中にマルオの家に乗り込んでギターをかき鳴らすシーン、すごかったです!
 そうだよね、遣り切れないときって、そういう衝動に走るよね!(力説)
 そして、マルオが外で苦情に対応している姿に噴きました。笑

 さて、第2弾は来年1月だったような気が。
 もっちろんまた映画館で観ますよ★


 この後に続けるのも妙な気がしますが、ようやく『人形芝居』(高尾滋さん)を読めましたー!
 わー! 9年ぶりの最新刊ですって!笑
 待ったですよ、待ちましたですよ。
 帯の紹介文?が何故かミステリー作家の有栖川有栖氏ですよ!
 ホントになぜ?笑
 でもたしか高尾さんはミステリー小説が好き~ってどこかに書いてたような気がするから、その繋がりかしらん。
 
 ま、それはともかくとして、今回の3編はどれも恋愛を織り込んだものだったのです、が……。
 泣きました。笑
 特に、ポエムな彼の最後のアレに。
 せ、切ないのぅ……。
 や、記憶うんぬんの辺りから既にうるうるしてたのですが。笑

 やー、実は朔さん、アイボとかがもてはやされてた時代、いつかロボットが人間に代わって仕事をする時代がくるとか聞くと、何だか人間の尊厳とか存在意義を踏み躙られたような恐怖にも似た嫌悪感または怒りを感じたものなのですが。
 そしてそれは今も変わらないのですが。
 なぜか、高尾さんの描かれる小型機械人形(チャイルドタイプアンドロイド)たちは、その限りではないんですよねー。
 それはたぶん、きちんと「人間」が描かれているからだと思う。
 ポエムな彼のお話だって、ヒロインは最後にやはり同じ人間を選ぶ。
 話としては悲恋なのだろうけど、だけどそれって人間としては正しい選択のはず。
 人間の登場人物たちがきちんと「人間」の役割を果たしているからこそ、たとえば最後のパースレインの「ぼくのマリー……」みたいな台詞が活きてくるのだろうなぁ。
 
 今回の作品で、改めて高尾滋という漫画家は秀逸だなーと再確認しました。
 正直、近年の忍者?の話とかタイムスリップの話とかついていけないなーと思っていたのですが。笑
 今回の3作は年に1本のサイクルで描いてたというのも、要因の1つかもしれません。
 のんびりでもいいから、これからも妥協のない素晴らしい作品を読ませて欲しいです。
 そしていつか、静と嵐にスポットを当てたお話も読みたいです!

 あ。もしこのブログを読んで『人形芝居』に興味を持った人がいたら。
 3巻の表紙、ちょっと(すごく)気合いの入った衣裳を纏ってますが、中身は全然そんなじゃないですよ!笑
 安心してレジに持っていって下さい。笑

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