ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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のだめ観ました~。
キャーーーーーッ!!だったのは、砂漠のプロメテウス作戦?のBGMがオルフのカルミナ・ブラーナだったこと!!
すばらしい!!
O Fortuna(おお、運命の女神よ)懐かしいです!
カルミナは、高2の定期演奏会で吹奏楽部の演奏で合唱したんです!
おお、我が青春の日々よー!って感じでした。笑
好きだ、好きだ、大好きだーーーー!!!
その他にも、思わず歌いたくなる曲がたくさんあって幸せな一時でした
だけど今回書きたいのはそのことじゃなくて。
原作をさらっと読んだ時はそんな感じなかったんだけど、ドラマではのだめの心情がものすごい良く分ったというか……。
つらいこととか壁にぶち当たっても、それでもピアノを弾かずにはおられない、というのだめの姿にはっとさせられました。
もはや「業(ゴウ)」のレベルなんじゃないかな、と。
ピアノから逃げるんじゃなくて、向き合うことで壁を越えようとしているのだめはすごい。
いろんな人から「何のために」と問われて最初は答えられないのだめだけど、そんな時でもピアノを辞めようという選択肢は微塵も思い浮かばなかったはず。
人が何かを乗り越えようとする時、何が出来るって、それまで通りコツコツ継続していくしかないんですよ。
社会人になって朔もそのことが骨身に沁みました。
継続は力なり、です。
学生時代もそう思ってましたけど、それは茶道とか好きなことの話で、社会人になってからは、大嫌いな仕事でさえも続けてたらなんとかなるんだなーという教訓。
ホント。朔さんは社会人になって初めて!「大嫌いなことを続ける」ということを学びました。
何か壁にぶつかった時、ヒーローが助けてくれるわけでもなく、天啓のような打開策が思い浮かぶわけでもなく、ある日突然物事が上手くいく、とか、そんなことは現実にはないんですよ。
苦しくっても、投げ出さずに続けていくしかないんです。
のだめカンタービレはギャグマンガ?のようで、そういうところをすごくシビアに描いてたんだな~、と思ったわけです。
リアルだー。
気付かなかった。
あ。ちなみに黒木君好きです笑
ではでは。
キャーーーーーッ!!だったのは、砂漠のプロメテウス作戦?のBGMがオルフのカルミナ・ブラーナだったこと!!
すばらしい!!
O Fortuna(おお、運命の女神よ)懐かしいです!
カルミナは、高2の定期演奏会で吹奏楽部の演奏で合唱したんです!
おお、我が青春の日々よー!って感じでした。笑
好きだ、好きだ、大好きだーーーー!!!
その他にも、思わず歌いたくなる曲がたくさんあって幸せな一時でした
だけど今回書きたいのはそのことじゃなくて。
原作をさらっと読んだ時はそんな感じなかったんだけど、ドラマではのだめの心情がものすごい良く分ったというか……。
つらいこととか壁にぶち当たっても、それでもピアノを弾かずにはおられない、というのだめの姿にはっとさせられました。
もはや「業(ゴウ)」のレベルなんじゃないかな、と。
ピアノから逃げるんじゃなくて、向き合うことで壁を越えようとしているのだめはすごい。
いろんな人から「何のために」と問われて最初は答えられないのだめだけど、そんな時でもピアノを辞めようという選択肢は微塵も思い浮かばなかったはず。
人が何かを乗り越えようとする時、何が出来るって、それまで通りコツコツ継続していくしかないんですよ。
社会人になって朔もそのことが骨身に沁みました。
継続は力なり、です。
学生時代もそう思ってましたけど、それは茶道とか好きなことの話で、社会人になってからは、大嫌いな仕事でさえも続けてたらなんとかなるんだなーという教訓。
ホント。朔さんは社会人になって初めて!「大嫌いなことを続ける」ということを学びました。
何か壁にぶつかった時、ヒーローが助けてくれるわけでもなく、天啓のような打開策が思い浮かぶわけでもなく、ある日突然物事が上手くいく、とか、そんなことは現実にはないんですよ。
苦しくっても、投げ出さずに続けていくしかないんです。
のだめカンタービレはギャグマンガ?のようで、そういうところをすごくシビアに描いてたんだな~、と思ったわけです。
リアルだー。
気付かなかった。
あ。ちなみに黒木君好きです笑
ではでは。
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