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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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訃報
2011.07.14 (Thu)
びっくりしました。
 祇園祭関連の記事を探して京都新聞をたまたま広げてみたら、7月13日付の新聞に

「冷泉布美子さん死去 「歌の家」伝統守る 公家文化 世界に発信」

 の見出しが。

 冷泉家と言えば古くは藤原道長の血に連なる家、かの有名な藤原俊成・定家・為家の子孫である、和歌の宗家です。
 朔はそれほど日本史や国文学に明るい訳ではありませんが、大学時代に専攻科目の1つとして、冷泉家の御文庫から見つかった私撰集の1つである『言葉和歌集(ゲンヨウワカシュウ)』の演習を行いました。
 朔は国文学ではなく国語学を専攻していたので、あまり性根を入れて話を聞いてなかったのですが、たしかこれは、うちの教授が冷泉家の蔵から発見したものだとか??
 そこで、自分の研究の傍ら教材?にもしていたようです。

 朔が演習で発表したのは、

 373 かしつれどふみもやすらんたなばたは うきみになるる衣なりとて(七夕心/道因法師)

 という、他の歌集には出典のない和歌でした。
  
 丁度七夕の歌だったので、この時期にたまたま(普段読まない新聞で)冷泉布美子さんの訃報を知ってびっくりしてしまって……。
 しかも、「浮き身になるる衣(=法衣=出家した人)」ですからね。
 なんともまぁ……。

 朔と冷泉家との接点なんてせいぜいこんなものですが(「接点」と呼べるほどのものでもない)、それでもこのお方が御文庫の公開を決めたこととか、戦死もあって男子が途絶えた家を婿養子をもらって存続させたこととかは知っていたので、「こんな世界もあるんだなぁ」という好奇心とともに、「すごいなぁ」「えらいなぁ」と遠くから尊敬していたりしました。
 時々、やっぱり七夕の頃になると乞巧奠(元は中国の、機織りなどの手芸の上達を願う風習。これと日本古来の棚織つ女信仰が習合したものが「七夕」と考えられている)や、節分の様子を取材したものを雑誌なんかでお見掛けすることがあったり……。
 茶道も和歌とは切り離せられないものなので、裏千家の淡交タイムスには布美子さんの娘さんの寄稿があったり……(折しも、淡交タイムス 裏千家グラフの6月号は「乞巧奠」についてでした)。

 あああ……。
 なんだか言葉にならない感じです……。
 1つの時代が去ってしまったような……

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