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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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はてさて。
2008.06.25 (Wed)
「君を受け止めたい」という言葉の意味とは何ぞや?

 そらー、何かに蹴躓いて転びそうになった時、咄嗟に体勢を支えてくれるような「受け止め」方なら理解できるけども。

 そうじゃなくて、精神的に「受け止め」たいというのなら、それは具体的に何を指すのでしょうか??

 謎だ。

 例えばぼくはよく発熱するけども、それって誰かに肩代わりできるんですか?
 傍にいて看病してくれたらありがたいけれど、根本的な熱による苦しさって軽減するんですかね??

 今ぼくは部活のごたごたとか仕事のごたごたとか公私共にスケジュール管理がアレな状態でてんてこまいなんですけども、それを他人が「受け止める」ってホントに何を意味してるんだろう??
 何かぼくの代わりに用事を片付けてくれるのだろうか。

 仕事が辛かったときぼくを支えてくれたのは京都・茶道関連の人たちや、可愛い子どもたちだったけれども、別に「辛いだろうけど仕事頑張れ」なんて直截な言葉を貰ったことなんか誰からも一度もない。
 それでもそう言う人たちとの繋がりをぼくが「支え」だと感じたのは、一緒に共有できる時間とか、一緒に味わえる喜びがあったからだ。
 たとえそれが相手にとって他愛のない時間であっても、ぼくにはそれが必要だった。
 つまりぼくは、誰かに何かを相談した時、返ってきた言葉が「大丈夫、味方だよ」でも「甘ったれるな」でも、それが好きな人だったら別にどっちでも構わなくて、要はぼく自身の受け止め方なのだ。
 あくまでぼく自身の問題なのだ。
 相手が本当にぼくを哀れんで労わろうとして言った言葉でも、ぼくにはイヤミにしか聞こえないことだってあるだろうし、相手が半ば投げ遣りに言った言葉がぼくに希望を与えるかもしれない。


 そんなぼくなので、はてさて「受け止めたい」と言われたところで、首を傾げるしかない。
 どうやったら「受け止めて」もらえるかも分からない。
 一体何がしたいんだろう??

 所詮、他人を丸ごと理解しようなんてどだい無理な話だ。
 それを「受け止めたい」とは、単なる会話のレトリックだろうか。

 そしてぼくの気持ちが寄り添いたいと思えるのは、
 アイシテル よりは イツクシム のほうがしっくりするような、
 守ってあげたい存在だ。
 それは、今ごたごたしている部活の後輩しかり、
 年の離れた新しい友達しかり、
 過去の思い出を共有している懐かしい友達しかり。

 受け止めるも受け止められるも無理だけど、寄り添いたいと思える存在はこんなぼくにもあるのだなぁ。
 恋愛対象にはならないけどね!

 (ホントこんな人間の何を受け止めたいのですか??)


 以上、フィクションでお届けしました。笑

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