ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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以前衝動買いで紹介した、『バチカン奇跡調査官 黒の学院』(角川ホラー文庫/藤木稟)についての感想です。
熱狂的なファンだ、異論は認められない!という人はスルーして下さい。
あくまで朔個人の抱いた感想なので。
感想を一言にまとめると、「物語としては面白いけど、お話としては残念な感じ」です。
どういうことかと言うと、物語の骨子(バチカンに所属する神父たちが、奇跡調査を行うなかで事件に巻き込まれていく)は非常に面白いと思うのですが、なんか…以前もちょろっと書いたように、文が…非常にぎこちないのです……(偉そうですみません……。でも本当にそう思うのです)。
読んでいて、「え、ちょっと待って、どういうこと!?」と立ち止まり、何度も読み返さないといけない箇所が多すぎるというか……(ちなみに朔は、国語の成績では5以外取ったことがなく、専門書はともかくとして、こういった娯楽用の本でここまで詰まりながら読んだことはありません……)。
一番驚いたのが、文庫p.240最後の行からp.241の最初の行への転換部で、「え。ドロティアが殺されてるって、誰が言った(どこに書いてあった)の?!」となりました。
だって、生きてると思って部屋を訪ねてみたら、死体が横たわっていたヨという(よくある)場面なのですが、
p.240
l.9「シスター・ドロティア、ヨハネスです。起きていますか?」
l.10ヨハネスは何度もドアを叩いた。応答はなかった。
l.14~15薄日が差し込む居所の床に、横たわっているドロティアの姿があった。それから相変わらずの異臭がする。
l.16「フランチェスコ神父の体臭が染みついていますよ」
l.17~18平賀が、鼻をくんくんいわせながら言った。確かに、最初、この部屋に来た時に感じた獣臭のようなものは~に違いなかった。
p.241
l.1ドロティアの死体はうつぶせになっていて(以下割愛)
と続いてるんですよ…?
普通の人間なら、臭いが云々(それも、死臭がする、とかではなく、体臭の話題)言う前に、「死んでる!」とか、「一体誰が…?!」という反応をするものだと思うですが……。
そういうやり取りが一切なく、いきなり死体の考察から入っていったので、「え? 最初から死んでた??」と本気で考え込みました……。
他にも、これは時系列に関することですが、マリオ・ロッテの宙吊り事件?とセバスチャン転校と平賀たちの派遣と、どの順番なのか最初読んだだけでは分かりづらかったです……。
他にも、細かく表現的に「??」というところが多々あり…。
物語の方向性やあらすじとしては非常に面白いのに、読むのが苦痛、といいますか。
まぁそんな残念な感じでした……。
それから、キャラクラーの立て方ですが。
神父であり科学者であり、神の存在を信じる一方で、安易な奇跡は認めない(科学によって立証する)、という平賀のキャラクターは非常にユニークでした。
信仰と科学が矛盾していないのが、面白い。
でもだからこそ、もう少しの工夫でいかようにも膨らませられたキャラだと思うのです。
この一冊だけでは、まだ平賀の魅力が十分に発揮されていないと思います。
そして相棒のロベルトですが、はっきり言って、何のためにいるのかよく分かりません……。
一応、古文書と暗号の解読家、という設定なのですが、ようやく役に立ち始めるか、というのが、もはや半分以上物語が進んでから。
しかも、解読法を発見して置換したところで力尽き、その後のおいしいところはみーんなチート平賀に持っていかれてますからね……。
てゆーか、平賀が万能すぎて、ロベルトの存在意義が……。
平賀だったら、ロベルトいなくてもひとりで暗号を解読できてたと思います(c.f. p.27 l.5 ロベルト「こんなに多くの雑誌や新聞の切り抜き、何のために貼ってるんだい?」 l.6平賀「ああ、それは世界中に飛び交っている暗号の解読のためです。私が解読する限りにおいて数十の組織が、雑誌の広告や新聞の告知板などで連絡を取り合っています」 ←もはやロベルト必要ナシ。笑)。
平賀を美形美形と持ち上げるなら、ロベルトとの間に、カトリックにありがちな男色系(差別するつもりはありません)のニュアンスをもっとそこはかとなく醸し出しさえすれば、いろんな年代のお嬢様方にウケそうなものを、そういうわけでもナシ。
なのに、ふたりは常にぴったり行動と部屋を共にしている。
なんだかよく分からないふたりでした。
扱いがよく分からないキャラといえば、散々カリスマとして持ち上げられていたマリオ・ロッテや、唯一一人称での語りを許されたセバスチャンは、結局どうなったんですかね?
教会でのクライマックス後が尻切れトンボで、マリオはかなり洗脳が進んでたんじゃないかな?と思うので、少しは触れてもらいたかったところです。
ネットで藤木稟さんの書評をいくつか検索してみたりもしましたが、京極夏彦氏と比較してみる、というのが多かった気がします。
朔は藤木さんの作品はバチカンシリーズの1冊目しか読んでいないのですが(京極さんなら、百鬼夜行シリーズ(←「京極堂シリーズ」だと思ってた。笑)を『邪魅の雫』以外はすべて読んでる)、この二人の作風が特別に似ているとはまったく思いませんでした。
まぁ、今回は物語の舞台となる時代も国も違いますからね。
でもそういう表面的なことだけじゃなくて、重量感というか、内面的なところもかなり違うと思うのですが。
なによりやっぱり、「重み」「深み」が違います!
バチカンシリーズは、非常にlightです。
文章的には多少の引っかかりを覚えようとも、さらっと読めます。
文法的に詰まる(p.325 l.11「決して英語のひそひそ話は止めてくれよ」は正しいのでしょうか? “決して~ない”と、否定語と呼応するのが正しい用法だと思うのですが……)箇所はあれども、回りくどい表現や必要以上にペダンチックな所はありません。
むしろ、百鬼夜行シリーズをさらっと読める人がいたらお目に掛りたい。笑
とまぁ、以上が朔が抱いたおおまかな感想でした。
これなぁ、魅せ方によっては、もう少し面白いお話になりそうな気がするんだけどなぁ、と思います。
というわけで、期待半分に続く第2巻も買ってみました。
まだ読んでませんが、今度は多少ロベルトにも光が当てられそう?
シャーロック・ホームズしかり、長野小説しかり。
男性2人組によるやりとりは朔の好むところなので、もう少しつっこんだ平賀とロベルトのやりとりが見られれば、と思います。
熱狂的なファンだ、異論は認められない!という人はスルーして下さい。
あくまで朔個人の抱いた感想なので。
感想を一言にまとめると、「物語としては面白いけど、お話としては残念な感じ」です。
どういうことかと言うと、物語の骨子(バチカンに所属する神父たちが、奇跡調査を行うなかで事件に巻き込まれていく)は非常に面白いと思うのですが、なんか…以前もちょろっと書いたように、文が…非常にぎこちないのです……(偉そうですみません……。でも本当にそう思うのです)。
読んでいて、「え、ちょっと待って、どういうこと!?」と立ち止まり、何度も読み返さないといけない箇所が多すぎるというか……(ちなみに朔は、国語の成績では5以外取ったことがなく、専門書はともかくとして、こういった娯楽用の本でここまで詰まりながら読んだことはありません……)。
一番驚いたのが、文庫p.240最後の行からp.241の最初の行への転換部で、「え。ドロティアが殺されてるって、誰が言った(どこに書いてあった)の?!」となりました。
だって、生きてると思って部屋を訪ねてみたら、死体が横たわっていたヨという(よくある)場面なのですが、
p.240
l.9「シスター・ドロティア、ヨハネスです。起きていますか?」
l.10ヨハネスは何度もドアを叩いた。応答はなかった。
l.14~15薄日が差し込む居所の床に、横たわっているドロティアの姿があった。それから相変わらずの異臭がする。
l.16「フランチェスコ神父の体臭が染みついていますよ」
l.17~18平賀が、鼻をくんくんいわせながら言った。確かに、最初、この部屋に来た時に感じた獣臭のようなものは~に違いなかった。
p.241
l.1ドロティアの死体はうつぶせになっていて(以下割愛)
と続いてるんですよ…?
普通の人間なら、臭いが云々(それも、死臭がする、とかではなく、体臭の話題)言う前に、「死んでる!」とか、「一体誰が…?!」という反応をするものだと思うですが……。
そういうやり取りが一切なく、いきなり死体の考察から入っていったので、「え? 最初から死んでた??」と本気で考え込みました……。
他にも、これは時系列に関することですが、マリオ・ロッテの宙吊り事件?とセバスチャン転校と平賀たちの派遣と、どの順番なのか最初読んだだけでは分かりづらかったです……。
他にも、細かく表現的に「??」というところが多々あり…。
物語の方向性やあらすじとしては非常に面白いのに、読むのが苦痛、といいますか。
まぁそんな残念な感じでした……。
それから、キャラクラーの立て方ですが。
神父であり科学者であり、神の存在を信じる一方で、安易な奇跡は認めない(科学によって立証する)、という平賀のキャラクターは非常にユニークでした。
信仰と科学が矛盾していないのが、面白い。
でもだからこそ、もう少しの工夫でいかようにも膨らませられたキャラだと思うのです。
この一冊だけでは、まだ平賀の魅力が十分に発揮されていないと思います。
そして相棒のロベルトですが、はっきり言って、何のためにいるのかよく分かりません……。
一応、古文書と暗号の解読家、という設定なのですが、ようやく役に立ち始めるか、というのが、もはや半分以上物語が進んでから。
しかも、解読法を発見して置換したところで力尽き、その後のおいしいところはみーんなチート平賀に持っていかれてますからね……。
てゆーか、平賀が万能すぎて、ロベルトの存在意義が……。
平賀だったら、ロベルトいなくてもひとりで暗号を解読できてたと思います(c.f. p.27 l.5 ロベルト「こんなに多くの雑誌や新聞の切り抜き、何のために貼ってるんだい?」 l.6平賀「ああ、それは世界中に飛び交っている暗号の解読のためです。私が解読する限りにおいて数十の組織が、雑誌の広告や新聞の告知板などで連絡を取り合っています」 ←もはやロベルト必要ナシ。笑)。
平賀を美形美形と持ち上げるなら、ロベルトとの間に、カトリックにありがちな男色系(差別するつもりはありません)のニュアンスをもっとそこはかとなく醸し出しさえすれば、いろんな年代のお嬢様方にウケそうなものを、そういうわけでもナシ。
なのに、ふたりは常にぴったり行動と部屋を共にしている。
なんだかよく分からないふたりでした。
扱いがよく分からないキャラといえば、散々カリスマとして持ち上げられていたマリオ・ロッテや、唯一一人称での語りを許されたセバスチャンは、結局どうなったんですかね?
教会でのクライマックス後が尻切れトンボで、マリオはかなり洗脳が進んでたんじゃないかな?と思うので、少しは触れてもらいたかったところです。
ネットで藤木稟さんの書評をいくつか検索してみたりもしましたが、京極夏彦氏と比較してみる、というのが多かった気がします。
朔は藤木さんの作品はバチカンシリーズの1冊目しか読んでいないのですが(京極さんなら、百鬼夜行シリーズ(←「京極堂シリーズ」だと思ってた。笑)を『邪魅の雫』以外はすべて読んでる)、この二人の作風が特別に似ているとはまったく思いませんでした。
まぁ、今回は物語の舞台となる時代も国も違いますからね。
でもそういう表面的なことだけじゃなくて、重量感というか、内面的なところもかなり違うと思うのですが。
なによりやっぱり、「重み」「深み」が違います!
バチカンシリーズは、非常にlightです。
文章的には多少の引っかかりを覚えようとも、さらっと読めます。
文法的に詰まる(p.325 l.11「決して英語のひそひそ話は止めてくれよ」は正しいのでしょうか? “決して~ない”と、否定語と呼応するのが正しい用法だと思うのですが……)箇所はあれども、回りくどい表現や必要以上にペダンチックな所はありません。
むしろ、百鬼夜行シリーズをさらっと読める人がいたらお目に掛りたい。笑
とまぁ、以上が朔が抱いたおおまかな感想でした。
これなぁ、魅せ方によっては、もう少し面白いお話になりそうな気がするんだけどなぁ、と思います。
というわけで、期待半分に続く第2巻も買ってみました。
まだ読んでませんが、今度は多少ロベルトにも光が当てられそう?
シャーロック・ホームズしかり、長野小説しかり。
男性2人組によるやりとりは朔の好むところなので、もう少しつっこんだ平賀とロベルトのやりとりが見られれば、と思います。
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