ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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何やら書いた方がいいと思われる日。
さーて、何書こっ。
朔さんはそりゃもう末端冷え症なんですね。
うちのシャワーはあらかじめ温度設定が出来ないので、お湯と水とをそれぞれ調整しなければならないのですが……
左手の掌で温度を調整しながら、「うん、大丈夫」と思ったお湯を頭からかぶった瞬間、喉の奥からほとばしる悲鳴。笑
だって、冷たいよ……!!
こんな冷水、浴びてらんないよ……!!
……掌では充分温かく感じたお湯が、実は水すれすれだったという。笑
さっきは、グラグラ沸騰したお湯に塩を投げ入れた(笑)瞬間、お湯がはねて手首に掛かりましたけど、別になんともなかったです。
パンを焼いた直後のオーブントースターの内壁に手が当たっても全然平気。
熱いとも感じない。
不思議と火傷もしないんですよね。
本当にまぁ朔さんてば、どんだけ冷え切ってるんでしょう!
今は主にブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』を読んでるんですけど、
おっかしいなー、
小学生の頃に読んだのと随分違うんですよ。
何故……??
たしかに朔は、小学生の時にドラキュラもカーミラ(←女吸血鬼)も読んだはず。
でも、あれはたぶん、子供向けに簡易版にしてあったものだったんでしょうね。
当時は出版社がどこ、とか、訳は誰、とか全然気にしてなかったし、まさか世の中には子供向けに話を大胆に端折ったものがあるとか、全然知りませんでしたから。
ちなみに今読んでるのは創元推理文庫・平井呈一訳・1971年初版です。
この平井氏は、1902年生まれなそうな。
何に驚くって、「魂消る」と書いて「たまげ・る」とルビをふってあったことです。
たまげる! すごいな、まさにそんな感じだ!!
確かに、広辞苑にもこの字で載っている!
でも恥ずかしながら、朔は初めてこの表現にお目に掛かりました。
日本語って面白いー♪
他にも「犇々と=ひしひし・と」とか、お目に掛かったことのない表記がちらほら。
日本近代の作家を毛嫌いしていたから、お目に掛からなかったんだろうなぁ、と思ったり。笑
「新発意」とか、もう何年ぶりだろ、っていう勢いで久々にお目に掛かったし、「冥加な人」「ご鳳声」とか、言葉は知っててもなかなか使う機会に恵まれない表現がたくさんあって、すごい楽しいです。
ちなみに、「この土方野郎、殺してしまうぞ!」というのはどういう罵詈雑言なんだろう……。笑
ああ、そういや罵詈雑言辞典なんてのも大学にあったなぁ。笑
それにしても何と言うか……、
翻訳小説を読む度に、原文ではどう書いてあったんだろう、というのがすごく気になる。
妻が夫のことを他人に話すときに、夫のことを「宅」と読んでいるのがすごい笑えた。笑
ex.「何か前に宅の頭を狂わした恐ろしいことを……」
なんだかもう朔の年齢では、相手に対して謙ってそう呼んでいるのか、それとも夫を持ち上げてそう呼んでいるのかすら分からないけれど(でもたぶん前者だろう)、なんだかもう敬語なんだかバカにしてんだか、ちぐはぐな感じすら受ける。笑
えー、本当に、こんな言葉で日常会話をしている人がかつてはいたのかしらん。
まぁ、「宅のぼっちゃん」=「うちの息子」なら、分からないでもないかな。イメージとしては、スネオママ(かなりのバカ親かつ上品ぶってる)あたりが言ってそうな??
あと、女性の話し言葉は当然のように「~ですわ」表記なのに、その女性が日記を書いたものを見ると、男性と変わらずに「である」文体なんですね。
これ、英語ではどう書き分けてあったんだろう。
それとも、訳者の判断によるものだったんだろうか。
外国の言葉を日本語に訳して紹介するなんて、本当にエキサイティングな体験でしょうね。
だって、主人公の一人称がすべて「おら」だったら、ヒロインの一人称が「わだす」だったら、と思うだけで悲劇も喜劇に変わりそうな?笑
原文を読めない朔みたいな人にとっては、翻訳者というのは原作者よりも神な気がします。
訳しかた1つで駄文も傑作に、また逆に傑作も駄文に成り下がる。
ところで『吸血鬼ドラキュラ』は1897年に英国で出版されたらしいのですが、
1894年 日清戦争
ドレフュス事件(仏)
1895年 下関条約
1896年 第一回国際オリンピック大会開催
1898年 米西戦争
ファショダ事件(英仏)
なんてご時世です。
作中に登場する主な女性キャラクターのミナは速記術を心得ていたり助教員だったりと、働く女性の一面があるのですが、もう1人のキーパーソン・ルーシーは……一体何で生計を立てているのか、さっぱり分からないお嬢さんです。
父親はすでにおらず、母親は心臓に疾患持ち。
どこから収入が得られるのか分かりませんが、家には当然のように女中が4人くらいいる(しかも同時に3人の地位ある男性から求婚されたりする)。
理由はよく分からないながら、ミナと連れ立って小旅行に出たりもする(そのおかげであんな目に遭った)。
うーん、中流階級だと思うんですけど、当時は当たり前のことだったのかな……?
あと実感が湧かないのが、書簡とか電報のあまりの速さですかね。
特に電報とか、卒業式・入学式の「祝電をご披露致します」とか「ハハキトクスグカエレ」しか知らないから、作中で当たり前のように多用されていることに驚き。
へー、こんなにしょっちゅう日常的に使うものだったんだ~?って。
なんだか現代のメールのような感覚っぽい。
それにしても、当時はそんなに郵便事情が発達していたのだろうか。
現代日本でも、母が出した手紙が朔の手元に届くのに2日以上掛かることがあるぞ(何故かゆうパックとかの方が手紙よりはやく着く)。
よく分からんな。
フィクションだからなのだろうか。
さてさて、実は『吸血鬼ドラキュラ』の前にはシェリー夫人の『フランケンシュタイン』を読んでいたのですが。
こちらの『フランケン…』は、実は初めて読むんですね。
小学生の頃の朔さんは、すでにアニメとかで仕入れいた知識から、フランケンシュタインはダサい、と思っていたので。笑
そしたら、予想してたのと全然違ってて、もうどうにもこうにも……。
怖い、あれは本当に怖いよ…!
朔は心理的に追い詰められるのと、得体の知れないものに追い掛け回されるのが一番怖いんだ!
……で、最後まで読まずに放置してあります★
小野不由美さんの『屍鬼』とか『吸血鬼ドラキュラ』とか、立ち向かうぞ!っていうストーリー展開ならぐいぐい読めるのに、『フランケン…』には今のところ救いの光が見えません……あれ、本当に最後どうなるのでしょう……?
ドラキュラ読み終わったらまた戻ろうかなぁ……。
さーて、何書こっ。
朔さんはそりゃもう末端冷え症なんですね。
うちのシャワーはあらかじめ温度設定が出来ないので、お湯と水とをそれぞれ調整しなければならないのですが……
左手の掌で温度を調整しながら、「うん、大丈夫」と思ったお湯を頭からかぶった瞬間、喉の奥からほとばしる悲鳴。笑
だって、冷たいよ……!!
こんな冷水、浴びてらんないよ……!!
……掌では充分温かく感じたお湯が、実は水すれすれだったという。笑
さっきは、グラグラ沸騰したお湯に塩を投げ入れた(笑)瞬間、お湯がはねて手首に掛かりましたけど、別になんともなかったです。
パンを焼いた直後のオーブントースターの内壁に手が当たっても全然平気。
熱いとも感じない。
不思議と火傷もしないんですよね。
本当にまぁ朔さんてば、どんだけ冷え切ってるんでしょう!
今は主にブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』を読んでるんですけど、
おっかしいなー、
小学生の頃に読んだのと随分違うんですよ。
何故……??
たしかに朔は、小学生の時にドラキュラもカーミラ(←女吸血鬼)も読んだはず。
でも、あれはたぶん、子供向けに簡易版にしてあったものだったんでしょうね。
当時は出版社がどこ、とか、訳は誰、とか全然気にしてなかったし、まさか世の中には子供向けに話を大胆に端折ったものがあるとか、全然知りませんでしたから。
ちなみに今読んでるのは創元推理文庫・平井呈一訳・1971年初版です。
この平井氏は、1902年生まれなそうな。
何に驚くって、「魂消る」と書いて「たまげ・る」とルビをふってあったことです。
たまげる! すごいな、まさにそんな感じだ!!
確かに、広辞苑にもこの字で載っている!
でも恥ずかしながら、朔は初めてこの表現にお目に掛かりました。
日本語って面白いー♪
他にも「犇々と=ひしひし・と」とか、お目に掛かったことのない表記がちらほら。
日本近代の作家を毛嫌いしていたから、お目に掛からなかったんだろうなぁ、と思ったり。笑
「新発意」とか、もう何年ぶりだろ、っていう勢いで久々にお目に掛かったし、「冥加な人」「ご鳳声」とか、言葉は知っててもなかなか使う機会に恵まれない表現がたくさんあって、すごい楽しいです。
ちなみに、「この土方野郎、殺してしまうぞ!」というのはどういう罵詈雑言なんだろう……。笑
ああ、そういや罵詈雑言辞典なんてのも大学にあったなぁ。笑
それにしても何と言うか……、
翻訳小説を読む度に、原文ではどう書いてあったんだろう、というのがすごく気になる。
妻が夫のことを他人に話すときに、夫のことを「宅」と読んでいるのがすごい笑えた。笑
ex.「何か前に宅の頭を狂わした恐ろしいことを……」
なんだかもう朔の年齢では、相手に対して謙ってそう呼んでいるのか、それとも夫を持ち上げてそう呼んでいるのかすら分からないけれど(でもたぶん前者だろう)、なんだかもう敬語なんだかバカにしてんだか、ちぐはぐな感じすら受ける。笑
えー、本当に、こんな言葉で日常会話をしている人がかつてはいたのかしらん。
まぁ、「宅のぼっちゃん」=「うちの息子」なら、分からないでもないかな。イメージとしては、スネオママ(かなりのバカ親かつ上品ぶってる)あたりが言ってそうな??
あと、女性の話し言葉は当然のように「~ですわ」表記なのに、その女性が日記を書いたものを見ると、男性と変わらずに「である」文体なんですね。
これ、英語ではどう書き分けてあったんだろう。
それとも、訳者の判断によるものだったんだろうか。
外国の言葉を日本語に訳して紹介するなんて、本当にエキサイティングな体験でしょうね。
だって、主人公の一人称がすべて「おら」だったら、ヒロインの一人称が「わだす」だったら、と思うだけで悲劇も喜劇に変わりそうな?笑
原文を読めない朔みたいな人にとっては、翻訳者というのは原作者よりも神な気がします。
訳しかた1つで駄文も傑作に、また逆に傑作も駄文に成り下がる。
ところで『吸血鬼ドラキュラ』は1897年に英国で出版されたらしいのですが、
1894年 日清戦争
ドレフュス事件(仏)
1895年 下関条約
1896年 第一回国際オリンピック大会開催
1898年 米西戦争
ファショダ事件(英仏)
なんてご時世です。
作中に登場する主な女性キャラクターのミナは速記術を心得ていたり助教員だったりと、働く女性の一面があるのですが、もう1人のキーパーソン・ルーシーは……一体何で生計を立てているのか、さっぱり分からないお嬢さんです。
父親はすでにおらず、母親は心臓に疾患持ち。
どこから収入が得られるのか分かりませんが、家には当然のように女中が4人くらいいる(しかも同時に3人の地位ある男性から求婚されたりする)。
理由はよく分からないながら、ミナと連れ立って小旅行に出たりもする(そのおかげであんな目に遭った)。
うーん、中流階級だと思うんですけど、当時は当たり前のことだったのかな……?
あと実感が湧かないのが、書簡とか電報のあまりの速さですかね。
特に電報とか、卒業式・入学式の「祝電をご披露致します」とか「ハハキトクスグカエレ」しか知らないから、作中で当たり前のように多用されていることに驚き。
へー、こんなにしょっちゅう日常的に使うものだったんだ~?って。
なんだか現代のメールのような感覚っぽい。
それにしても、当時はそんなに郵便事情が発達していたのだろうか。
現代日本でも、母が出した手紙が朔の手元に届くのに2日以上掛かることがあるぞ(何故かゆうパックとかの方が手紙よりはやく着く)。
よく分からんな。
フィクションだからなのだろうか。
さてさて、実は『吸血鬼ドラキュラ』の前にはシェリー夫人の『フランケンシュタイン』を読んでいたのですが。
こちらの『フランケン…』は、実は初めて読むんですね。
小学生の頃の朔さんは、すでにアニメとかで仕入れいた知識から、フランケンシュタインはダサい、と思っていたので。笑
そしたら、予想してたのと全然違ってて、もうどうにもこうにも……。
怖い、あれは本当に怖いよ…!
朔は心理的に追い詰められるのと、得体の知れないものに追い掛け回されるのが一番怖いんだ!
……で、最後まで読まずに放置してあります★
小野不由美さんの『屍鬼』とか『吸血鬼ドラキュラ』とか、立ち向かうぞ!っていうストーリー展開ならぐいぐい読めるのに、『フランケン…』には今のところ救いの光が見えません……あれ、本当に最後どうなるのでしょう……?
ドラキュラ読み終わったらまた戻ろうかなぁ……。
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