ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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その通りさ!
……なんかそんなテンションです。
すいません、コンバンワ、朔です。
さて、仕事のストレス解消のために小学校の同窓会幹事をしている朔さんですが。
40人学級だったうち、いつの間にやら20人参加、みたいな。
残り20人の行方は依然アレなわけですが。
あー。でも癒されるー。
仕事してるフリしながら(手は動かしてる)、茶会の時みたいに席札作りたいなー、とか、それだったら創立100周年だか110周年だかの時に撮った学校の航空写真をコピーして、パズルみたいにして、みんなで繋げて一枚の絵!とか面白いなぁと思ったり。ついでにそれをクジ代わりにして座席決めるのもいいなー、とか、とか。
卒アルの文集眺めながら、小学生の朔たちが書いた「10年後の自分へ」を読んで、今回の文集作りではどんな質問載せようかなーとか、とか、とか。
仕事なんかそっちのけで妄想は広がります。笑
楽しい。
でも最近、同窓会をどこまで私物化していいんだろう、とか思ったり。
いいのかな。
幹事(言い出しっぺ)特権かな。
でも独断に走りすぎるのも良くないので、会場探しと文集作りはスタッフを募って分業化しました。
そのうち宴会盛り上げ隊も招集する予定。
……こうやって組織創り上げていくのって、ホント楽しいなぁ。
そして、こういう業務・連絡形態を、ケータイ(洒落ではない。念のため。笑)1本で出来るという便利さ。
すごいことだよなぁ、これは。
少なくとも朔が小学生だった頃には想像も出来なかったよ。
大学を卒業して以来会社では下っ端だったので、今回久々に人を動かす立場になって、つくづくこっちのが性に合ってるなぁと思った。
人に命令されるの嫌いだし。
効率の悪さにイライラするし。
でも思い出してみると、高校の部活も大学の部活も、新入部員の時代はあったのに全然イヤじゃなかった。
自分なりにその理由を考えてみるに、
1,理不尽な要求はなく、すべて朔の成長に繋がると思えたから
2,いつかは朔もその立場(上級生)になると分かっていたから
の2点が挙げられる。
でもそれを今の会社で考えてみると。
1→数字追求なんか理不尽なことばっかり。
成績が上がったところで、それは朔の為人になんらプラスになるとは思えない。
むしろ摩滅する。
2→正直言って、この会社で5年後働いてる自分の姿なんか想像できない。
つまり、将来がない。
だから、成長しようという意欲も湧かない。
ひたすら休日と京都&茶道だけを楽しみに生きてる。
ま、課の成績も支社の成績も気にせずに自分の仕事だけを遂行していればいいんで、気は楽ですけどね。
こんな感じで日々鬱々と使役される立場だったんで、今回の同窓会幹事は久々に楽しいです。
本来朔は何かを企画したり、人を動かすのが好きな人間だったと思い出しました。
そして朔がその傾向を示し始めたのは、奇しくも同窓会を計画している5,6年生の頃からだった、と。
さて同窓会準備と並行してもう1つ動いているのが定茶です。
すでに朔たちの代と1つ下の学年の子たちから、6人の参加の約束を取り付けた、の、です、が……。
現役部員たちに訊いてみると、今年もまた「取りやめにしよう…」という消極的意見が出ている模様……。
去年より部員増えたし、何言ってんだー!って感じですけど、まぁ無理矢理押し付けるようなものでもないし。
今の茶道部の子たちは、稽古の本質を見失ってるような気がして不安です。
茶道って、他人の顔色を窺いながらするものじゃないよ。
理想だけを追い求めるものでもないよ。
今の自分にできることを、精一杯のおもてなしに変える、ただそれだけでいいと朔は思うよ。
自分たちに出来ないことは朔たち卒業生が手を貸すし、簡単に「ムリ」なんて諦めて欲しくないです。
諦めるのはいつだって簡単。
続けることこそ、難しい。
52年目を迎える今年の茶会。
今年も無事開催できるといいなぁ。
……なんかそんなテンションです。
すいません、コンバンワ、朔です。
さて、仕事のストレス解消のために小学校の同窓会幹事をしている朔さんですが。
40人学級だったうち、いつの間にやら20人参加、みたいな。
残り20人の行方は依然アレなわけですが。
あー。でも癒されるー。
仕事してるフリしながら(手は動かしてる)、茶会の時みたいに席札作りたいなー、とか、それだったら創立100周年だか110周年だかの時に撮った学校の航空写真をコピーして、パズルみたいにして、みんなで繋げて一枚の絵!とか面白いなぁと思ったり。ついでにそれをクジ代わりにして座席決めるのもいいなー、とか、とか。
卒アルの文集眺めながら、小学生の朔たちが書いた「10年後の自分へ」を読んで、今回の文集作りではどんな質問載せようかなーとか、とか、とか。
仕事なんかそっちのけで妄想は広がります。笑
楽しい。
でも最近、同窓会をどこまで私物化していいんだろう、とか思ったり。
いいのかな。
幹事(言い出しっぺ)特権かな。
でも独断に走りすぎるのも良くないので、会場探しと文集作りはスタッフを募って分業化しました。
そのうち宴会盛り上げ隊も招集する予定。
……こうやって組織創り上げていくのって、ホント楽しいなぁ。
そして、こういう業務・連絡形態を、ケータイ(洒落ではない。念のため。笑)1本で出来るという便利さ。
すごいことだよなぁ、これは。
少なくとも朔が小学生だった頃には想像も出来なかったよ。
大学を卒業して以来会社では下っ端だったので、今回久々に人を動かす立場になって、つくづくこっちのが性に合ってるなぁと思った。
人に命令されるの嫌いだし。
効率の悪さにイライラするし。
でも思い出してみると、高校の部活も大学の部活も、新入部員の時代はあったのに全然イヤじゃなかった。
自分なりにその理由を考えてみるに、
1,理不尽な要求はなく、すべて朔の成長に繋がると思えたから
2,いつかは朔もその立場(上級生)になると分かっていたから
の2点が挙げられる。
でもそれを今の会社で考えてみると。
1→数字追求なんか理不尽なことばっかり。
成績が上がったところで、それは朔の為人になんらプラスになるとは思えない。
むしろ摩滅する。
2→正直言って、この会社で5年後働いてる自分の姿なんか想像できない。
つまり、将来がない。
だから、成長しようという意欲も湧かない。
ひたすら休日と京都&茶道だけを楽しみに生きてる。
ま、課の成績も支社の成績も気にせずに自分の仕事だけを遂行していればいいんで、気は楽ですけどね。
こんな感じで日々鬱々と使役される立場だったんで、今回の同窓会幹事は久々に楽しいです。
本来朔は何かを企画したり、人を動かすのが好きな人間だったと思い出しました。
そして朔がその傾向を示し始めたのは、奇しくも同窓会を計画している5,6年生の頃からだった、と。
さて同窓会準備と並行してもう1つ動いているのが定茶です。
すでに朔たちの代と1つ下の学年の子たちから、6人の参加の約束を取り付けた、の、です、が……。
現役部員たちに訊いてみると、今年もまた「取りやめにしよう…」という消極的意見が出ている模様……。
去年より部員増えたし、何言ってんだー!って感じですけど、まぁ無理矢理押し付けるようなものでもないし。
今の茶道部の子たちは、稽古の本質を見失ってるような気がして不安です。
茶道って、他人の顔色を窺いながらするものじゃないよ。
理想だけを追い求めるものでもないよ。
今の自分にできることを、精一杯のおもてなしに変える、ただそれだけでいいと朔は思うよ。
自分たちに出来ないことは朔たち卒業生が手を貸すし、簡単に「ムリ」なんて諦めて欲しくないです。
諦めるのはいつだって簡単。
続けることこそ、難しい。
52年目を迎える今年の茶会。
今年も無事開催できるといいなぁ。
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