ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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いつか忘れちゃうのかなぁと思いつつ、書き留めてみる。
今、中学生の受験生たちと触れ合ってみて、思えばぼくは高校選択を迷ったりしなかったなーと思い出す。
朔の家は結構市の中心部にあって、遠出をしなくても周囲に何でもある環境だったせいか、生活圏内がものすごく狭かったんですよ。
しかも年上のキョウダイがいなかったから、高校のレベルとか場所とか全然知らなくて、(場所を含めて)知ってる高校が4つしかありませんでした。
1.中学の隣の進高校B。(家から徒歩10分)
2.県庁の近くにある進学校A。(家から自転車で15分くらい?)
3.文化センターの隣にある商業高校C。(私立。家から自転車で15分くらい?)
4.県下唯一の女子高(今は共学)D。(私立。家から自転車で15分くらい?)
その他は、名前を聞いたことはあっても、どこにあるのかさっぱり分からない高校ばかりで。
さーてそれじゃこの4つの中からどこにするかってなった時に、なぜか私立は選択肢にすら挙がらず。
……なんでだろ。
今にして思えば不思議なんですけど、やっぱ周りの友達の雰囲気とか親からの影響だったんですかねー。
具体的に大学行きたいとか全然思ってなくても、進学校に行くのが当たり前だと思ってた。
で、そんな学生生活を送ってるうちに、「うちの中学で●番以内だったらA高校(学区ナンバー1の進学校)で、▲番以内だったらB高校(ナンバー2進学校)」っていうランク付けがどこからか聞こえてきたのですよ。
当時の朔さんの成績は、ちょっとやる気出せばA高校にも合格できたけど、自転車で通うことを考えると雨の日とか絶対イヤだ!!と思って、徒歩で行けるB高校を選びました。
自転車で15分とか、朔にとってはもう遠すぎるくらい遠いんですよ……。
それを3年間毎日とか考えただけで、絶望的な気持ちになる。
そんな訳で、安易にB高校に決定。
さらに安易だったのがコース選択で、B高校の普通科の中には特別クラスとして「国際コース」「特別理科コース」がありまして。
これらのレベルはA高校とさして変わらないんですけど、コースの受験に失敗しても、普通コースの方に自動的に下ろしてもらえるんですよ。
要するに、チャレンジしてみて受かればラッキー♪、落ちても一般受験になるだけ、というシステム。
朔は国語が大の得意(※英語は超苦手)だったので(?)、担任と親に勧められるまま国際コースを選択。
印象的だったのが、隣の高校に試験しに行くだけなのに、わざわざ中学校に集まってから、総勢30名強で引率の先生と一緒に高校へ行ったこと。笑
面接試験の時に、妊婦でそうとうお腹の大きくなってる先生がいたことですかねー。
「ああ、この先生はぼくが入学しても(出産のために)おらんくなっとるんやろーなー」とか思いながらの面接でした。笑
で、合格。
でも何も考えないで受けたクラスだったから、しばらくして担任から「このクラスは国公立大合格のためのクラスだから、指定校推薦とか、その他の推薦も貰えんぞー。実力勝負だぞー」とか、いきなりそんな話を聞かされてかなり驚きました。
あ、こりゃ何だか場違いなところにきてしまったぞ、という。笑
ホント、なーんにも考えないで、好悪の判断だけで高校選んだなーという。
でもその前提には、選択肢として進学校しかなかったんだよな。
ずっとそれが当たり前だと思ってたんですけど、恥ずかしい話、社会人になって初めて、それが「当たり前」ではないことを知りました。
考えてみれば当然なんですけどね……。
ああ、子どもの進路を決めるのって、やっぱ環境なのかなーと今になってひしひしと感じます。
だって、親の目線が低ければ・応援がなければ、たかが14,5歳の世間知らずな子どもが自己努力で自発的に上を目指していくなんて、相当難しい。
高校生くらいになれば、大学に進みたいなって自分で思うようになるかもしれませんが、中学生はまだまだそんなの考えられませんよ。
でも実際は、きちんと高校から選んでおかないと、高校のレベルによって使ってる教科書のレベルも変わってくるし、進学率も全然違うんですよ。
だけど中学生にそんな話してもピンとくる子は少ないし、本人が理解しないなら、周囲の大人が上手く誘導するしかないじゃないですか。
なのに、目線の低い親は、それをしない。
ここなら受かるから、という安易な発想で安全牌を選んだ結果、それ以上の進学は望めそうもない専門課程の高校を選んだりする。
結果、子どもの将来の選択肢が狭まる。
たかが高校入試、これで人生が決まるわけでもなし、と思ってる人も多いかもしれませんが、これはほとんどの中学生にとっては人生初の関門であると同時に、その後の人生にとっても大きな影響力をもってます。
目線を上げておけば、必要とあらばいつでも下げることは可能なんですから、子どもには常に目線を高くもてる環境を整えてあげて欲しいです。
憲法にある「子どもに普通教育を受けさせる義務」って、そういうことじゃないのかな。
大卒が偉いとか、学歴社会バンザイって訳じゃないけれど、子どもがやりたい道を見つけたとき、それを選択できるだけの幅を確保するためにも、やはり学力は高いに越したことはないと思います。
というわけで。
受験生のみなさん、自分に妥協せずがんばれー!
来年、再来年に受験生だという人も、受験はあっという間にきますよー!
後悔しないよう、今からしっかり頑張ってー!!
高校は楽しいよ、大学はもっと楽しいよ!
社会人になれば、「学生時代は良かった」って思うことばっかりだよ!!!涙
今、中学生の受験生たちと触れ合ってみて、思えばぼくは高校選択を迷ったりしなかったなーと思い出す。
朔の家は結構市の中心部にあって、遠出をしなくても周囲に何でもある環境だったせいか、生活圏内がものすごく狭かったんですよ。
しかも年上のキョウダイがいなかったから、高校のレベルとか場所とか全然知らなくて、(場所を含めて)知ってる高校が4つしかありませんでした。
1.中学の隣の進高校B。(家から徒歩10分)
2.県庁の近くにある進学校A。(家から自転車で15分くらい?)
3.文化センターの隣にある商業高校C。(私立。家から自転車で15分くらい?)
4.県下唯一の女子高(今は共学)D。(私立。家から自転車で15分くらい?)
その他は、名前を聞いたことはあっても、どこにあるのかさっぱり分からない高校ばかりで。
さーてそれじゃこの4つの中からどこにするかってなった時に、なぜか私立は選択肢にすら挙がらず。
……なんでだろ。
今にして思えば不思議なんですけど、やっぱ周りの友達の雰囲気とか親からの影響だったんですかねー。
具体的に大学行きたいとか全然思ってなくても、進学校に行くのが当たり前だと思ってた。
で、そんな学生生活を送ってるうちに、「うちの中学で●番以内だったらA高校(学区ナンバー1の進学校)で、▲番以内だったらB高校(ナンバー2進学校)」っていうランク付けがどこからか聞こえてきたのですよ。
当時の朔さんの成績は、ちょっとやる気出せばA高校にも合格できたけど、自転車で通うことを考えると雨の日とか絶対イヤだ!!と思って、徒歩で行けるB高校を選びました。
自転車で15分とか、朔にとってはもう遠すぎるくらい遠いんですよ……。
それを3年間毎日とか考えただけで、絶望的な気持ちになる。
そんな訳で、安易にB高校に決定。
さらに安易だったのがコース選択で、B高校の普通科の中には特別クラスとして「国際コース」「特別理科コース」がありまして。
これらのレベルはA高校とさして変わらないんですけど、コースの受験に失敗しても、普通コースの方に自動的に下ろしてもらえるんですよ。
要するに、チャレンジしてみて受かればラッキー♪、落ちても一般受験になるだけ、というシステム。
朔は国語が大の得意(※英語は超苦手)だったので(?)、担任と親に勧められるまま国際コースを選択。
印象的だったのが、隣の高校に試験しに行くだけなのに、わざわざ中学校に集まってから、総勢30名強で引率の先生と一緒に高校へ行ったこと。笑
面接試験の時に、妊婦でそうとうお腹の大きくなってる先生がいたことですかねー。
「ああ、この先生はぼくが入学しても(出産のために)おらんくなっとるんやろーなー」とか思いながらの面接でした。笑
で、合格。
でも何も考えないで受けたクラスだったから、しばらくして担任から「このクラスは国公立大合格のためのクラスだから、指定校推薦とか、その他の推薦も貰えんぞー。実力勝負だぞー」とか、いきなりそんな話を聞かされてかなり驚きました。
あ、こりゃ何だか場違いなところにきてしまったぞ、という。笑
ホント、なーんにも考えないで、好悪の判断だけで高校選んだなーという。
でもその前提には、選択肢として進学校しかなかったんだよな。
ずっとそれが当たり前だと思ってたんですけど、恥ずかしい話、社会人になって初めて、それが「当たり前」ではないことを知りました。
考えてみれば当然なんですけどね……。
ああ、子どもの進路を決めるのって、やっぱ環境なのかなーと今になってひしひしと感じます。
だって、親の目線が低ければ・応援がなければ、たかが14,5歳の世間知らずな子どもが自己努力で自発的に上を目指していくなんて、相当難しい。
高校生くらいになれば、大学に進みたいなって自分で思うようになるかもしれませんが、中学生はまだまだそんなの考えられませんよ。
でも実際は、きちんと高校から選んでおかないと、高校のレベルによって使ってる教科書のレベルも変わってくるし、進学率も全然違うんですよ。
だけど中学生にそんな話してもピンとくる子は少ないし、本人が理解しないなら、周囲の大人が上手く誘導するしかないじゃないですか。
なのに、目線の低い親は、それをしない。
ここなら受かるから、という安易な発想で安全牌を選んだ結果、それ以上の進学は望めそうもない専門課程の高校を選んだりする。
結果、子どもの将来の選択肢が狭まる。
たかが高校入試、これで人生が決まるわけでもなし、と思ってる人も多いかもしれませんが、これはほとんどの中学生にとっては人生初の関門であると同時に、その後の人生にとっても大きな影響力をもってます。
目線を上げておけば、必要とあらばいつでも下げることは可能なんですから、子どもには常に目線を高くもてる環境を整えてあげて欲しいです。
憲法にある「子どもに普通教育を受けさせる義務」って、そういうことじゃないのかな。
大卒が偉いとか、学歴社会バンザイって訳じゃないけれど、子どもがやりたい道を見つけたとき、それを選択できるだけの幅を確保するためにも、やはり学力は高いに越したことはないと思います。
というわけで。
受験生のみなさん、自分に妥協せずがんばれー!
来年、再来年に受験生だという人も、受験はあっという間にきますよー!
後悔しないよう、今からしっかり頑張ってー!!
高校は楽しいよ、大学はもっと楽しいよ!
社会人になれば、「学生時代は良かった」って思うことばっかりだよ!!!涙
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ちょっと思ったこと。
大学時代の友人に、山口県出身の子がいて。
その子から聞いた話。
山口県の方言に「ぶち」というのがあるらしい。
意味は(記憶が正しければ)「とても」みたいな感じで、程度を表す副詞として用いられる。
ex.「ぶちすごい」=「とてもすごい」
で、ふと思ったんですけど。
ぶち殺す・ぶち倒す・ぶちのめす・ぶち壊す・ぶちかます・ぶち抜く・ぶちまける……
これらの「ぶち」はみんな、山口の方言の「ぶち」と同じなんじゃないかなーと。
あくまで思いつきですけどね。
ちなみに広辞苑を引いてみると、これらの「ぶち殺す」などの「ぶち」には「打ち」の字が当てられてました。
ま、ここは広辞苑じゃなくて日本国語大辞典くらいを引くべきところなのでしょうが(朔の母校の大学の教授陣は広辞苑を百科事典扱い)、うちにはないので致し方なし。
で、話を「ぶち」に戻しますと。
「ぶち殺す」も「ぶち倒す」も、いずれもただ「殺す」や「倒す」という時に比べて、その程度が甚だしいこと、より負の感情が込められているように感じます。
そうなんです、いずれもマイナスイメージの動詞の接頭語として付くように思われるんですよねぇ。
これがさらにひどく(?)なると、「ぶっ殺す」や「ぶっ倒す」など、「ぶち」が「ぶっ」へと格上げ(?)されるわけです。
促音になることで、なんだかこう、音に勢いが生まれますねぇ。笑
もしくは例外的に、「ぶん殴る」「ぶん回す」など、撥音化するものもあったり。
これはですね、例えば「しかり」から「しっかり」へ、「すきり」から「すっきり」へなったりと、他の言葉でも多々あるケースなんですよ。
まぁこれら場合は程度に差があるわけではなさそうですけど。
ちなみに、国語学の中には柳田国男の『蝸牛考』で有名な「方言周圏論」というのがありまして、これは近畿を中心として、同心円状に言語は伝播していった、というものです。
だから九州と東北とかっていうように、離れた地域で同じ言葉が使われていたりするらしい。
そこから思ったんですけど、「ぶち」ってやっぱり元々「とても」っていう副詞としてフツーに使われてたんじゃないかなぁ、方言じゃなくて。
それが次第に廃れていって、今は一地方にしか残らなかった。
それでも今でもごく一部、マイナスイメージの動詞の接頭語してのみ全国的に使われているのは、昔の名残なのかなぁ、と思ったり。
これらは大学時代から気になってたことで、昨日久々に「ぶち殺す」にお目に掛かった(読書中)ので、思い返してみた次第。
一瞬、卒論にしてみようかなぁと思ったこともありますが、朔は山口県とは縁も所縁もないのでやめときました。
というわけで、先行研究があるかどうかすら調べてません。
あてずっぽうに考えただけで、事の真偽もまったく確かめてません。
でも、こうやって学問を離れて遊び半分で考えてみるのも結構楽しかったり。笑
大学時代、こんなことを考えてたんだよーという記録として留めておきます。
ではでは。
大学時代の友人に、山口県出身の子がいて。
その子から聞いた話。
山口県の方言に「ぶち」というのがあるらしい。
意味は(記憶が正しければ)「とても」みたいな感じで、程度を表す副詞として用いられる。
ex.「ぶちすごい」=「とてもすごい」
で、ふと思ったんですけど。
ぶち殺す・ぶち倒す・ぶちのめす・ぶち壊す・ぶちかます・ぶち抜く・ぶちまける……
これらの「ぶち」はみんな、山口の方言の「ぶち」と同じなんじゃないかなーと。
あくまで思いつきですけどね。
ちなみに広辞苑を引いてみると、これらの「ぶち殺す」などの「ぶち」には「打ち」の字が当てられてました。
ま、ここは広辞苑じゃなくて日本国語大辞典くらいを引くべきところなのでしょうが(朔の母校の大学の教授陣は広辞苑を百科事典扱い)、うちにはないので致し方なし。
で、話を「ぶち」に戻しますと。
「ぶち殺す」も「ぶち倒す」も、いずれもただ「殺す」や「倒す」という時に比べて、その程度が甚だしいこと、より負の感情が込められているように感じます。
そうなんです、いずれもマイナスイメージの動詞の接頭語として付くように思われるんですよねぇ。
これがさらにひどく(?)なると、「ぶっ殺す」や「ぶっ倒す」など、「ぶち」が「ぶっ」へと格上げ(?)されるわけです。
促音になることで、なんだかこう、音に勢いが生まれますねぇ。笑
もしくは例外的に、「ぶん殴る」「ぶん回す」など、撥音化するものもあったり。
これはですね、例えば「しかり」から「しっかり」へ、「すきり」から「すっきり」へなったりと、他の言葉でも多々あるケースなんですよ。
まぁこれら場合は程度に差があるわけではなさそうですけど。
ちなみに、国語学の中には柳田国男の『蝸牛考』で有名な「方言周圏論」というのがありまして、これは近畿を中心として、同心円状に言語は伝播していった、というものです。
だから九州と東北とかっていうように、離れた地域で同じ言葉が使われていたりするらしい。
そこから思ったんですけど、「ぶち」ってやっぱり元々「とても」っていう副詞としてフツーに使われてたんじゃないかなぁ、方言じゃなくて。
それが次第に廃れていって、今は一地方にしか残らなかった。
それでも今でもごく一部、マイナスイメージの動詞の接頭語してのみ全国的に使われているのは、昔の名残なのかなぁ、と思ったり。
これらは大学時代から気になってたことで、昨日久々に「ぶち殺す」にお目に掛かった(読書中)ので、思い返してみた次第。
一瞬、卒論にしてみようかなぁと思ったこともありますが、朔は山口県とは縁も所縁もないのでやめときました。
というわけで、先行研究があるかどうかすら調べてません。
あてずっぽうに考えただけで、事の真偽もまったく確かめてません。
でも、こうやって学問を離れて遊び半分で考えてみるのも結構楽しかったり。笑
大学時代、こんなことを考えてたんだよーという記録として留めておきます。
ではでは。
最近少し考えていることがあって。
タイミングって大切だし、捉え難いなぁ、と。
例えば、好きだと言ってくれる人がいて、
自分もその人のことが好きだけど「アイシテル」かどうかは分からず、
返事を先延ばしにしておいたところ、
ようやく「アイシテル」だと気付いた時には、
既に相手は諦めてしまい他を見ている、
とか?
こういうときはどうしたらいいんだろう。
好きだと言われた時点で、確信はなくとも乗っておくべきなのか?
「愛は育むものなんだよ」ってか?
でもフツー、こういう一生を左右しそうな決断を、確信もないまま出来るんだろうか。
それとも、即断即決できない時点で「シンジツのアイ」ではないと断ずるべきなのか。
それでもその相手が、自分の望むすべてのモノを手にしていたら? 労せずしてたった一つの返事でそのすべてを手中に出来るとしたら?
……とかいうオプションに惹かれてる時点で不純なのだろうか。
難しいなぁ。
でもタイミングなんだよ。
今のこの瞬間を逃してしまえば、永遠にチャンスは巡ってこないかもしれない。
死ぬまで後悔するかもしれない。
でも先の見えないまま、自分の気持ちが見えないまま飛び込むのも怖い。
だけどそれは相手も同じで、
こちらに測りかねているタイミングがあるように、
相手にも、返事を「今」もらいたい都合やタイミングがあるんだな。
ひょっとして、そういうタイミングがぴったり合う相手を、「相性が良い」というんだろうか。
共に長い人生を歩むパートナーについて考える時、
大切なのは「アイ」ではなくて、
そういうリズムというか、
並んで歩いてゆくための歩調、止まったり歩き始めたりするためのタイミングが同じことなのかもしれない。
……なんてことを考えているのはこちらだけで、
相手は今も返事を待ちわびているのかもしれないけれど……。
うーん 難しいなぁ。
……というか、ぼくにそんなタイミングが訪れる日が来るのだろうか……。
激しく不安。
そして、同級生が結婚するという噂が一向に耳に入ってこないのも不安。
実はみんなこっそり結婚してたらどうしよう。笑
身近にモデルケースがあって観察できたら、少しは焦りとか実感とか生まれるのかなぁ……。
とりあえず今はそんなこと考えられないし、
ぼくの欲しいものは京都と茶道、それだけだ。
でもこれはやっぱり独りよがりな結論で、
相手にはひどく酷な仕打ちなのかもしれないけれど、
というかそう半ば気付いてはいるのだけれど。
嫌いではないから遠ざけられないし。
離れていったら淋しいし。
我儘で振り回してるのは重々承知してるけど
このままの日々が続くのがいちばんいいや。
(ホントこんな人間のどこを気に入ったんですか?)
ああでも!
あの時返事をしていれば、と後悔する日がきらたどうしよう!
(堂々巡り)
以上、フィクションでお届けしました。笑
タイミングって大切だし、捉え難いなぁ、と。
例えば、好きだと言ってくれる人がいて、
自分もその人のことが好きだけど「アイシテル」かどうかは分からず、
返事を先延ばしにしておいたところ、
ようやく「アイシテル」だと気付いた時には、
既に相手は諦めてしまい他を見ている、
とか?
こういうときはどうしたらいいんだろう。
好きだと言われた時点で、確信はなくとも乗っておくべきなのか?
「愛は育むものなんだよ」ってか?
でもフツー、こういう一生を左右しそうな決断を、確信もないまま出来るんだろうか。
それとも、即断即決できない時点で「シンジツのアイ」ではないと断ずるべきなのか。
それでもその相手が、自分の望むすべてのモノを手にしていたら? 労せずしてたった一つの返事でそのすべてを手中に出来るとしたら?
……とかいうオプションに惹かれてる時点で不純なのだろうか。
難しいなぁ。
でもタイミングなんだよ。
今のこの瞬間を逃してしまえば、永遠にチャンスは巡ってこないかもしれない。
死ぬまで後悔するかもしれない。
でも先の見えないまま、自分の気持ちが見えないまま飛び込むのも怖い。
だけどそれは相手も同じで、
こちらに測りかねているタイミングがあるように、
相手にも、返事を「今」もらいたい都合やタイミングがあるんだな。
ひょっとして、そういうタイミングがぴったり合う相手を、「相性が良い」というんだろうか。
共に長い人生を歩むパートナーについて考える時、
大切なのは「アイ」ではなくて、
そういうリズムというか、
並んで歩いてゆくための歩調、止まったり歩き始めたりするためのタイミングが同じことなのかもしれない。
……なんてことを考えているのはこちらだけで、
相手は今も返事を待ちわびているのかもしれないけれど……。
うーん 難しいなぁ。
……というか、ぼくにそんなタイミングが訪れる日が来るのだろうか……。
激しく不安。
そして、同級生が結婚するという噂が一向に耳に入ってこないのも不安。
実はみんなこっそり結婚してたらどうしよう。笑
身近にモデルケースがあって観察できたら、少しは焦りとか実感とか生まれるのかなぁ……。
とりあえず今はそんなこと考えられないし、
ぼくの欲しいものは京都と茶道、それだけだ。
でもこれはやっぱり独りよがりな結論で、
相手にはひどく酷な仕打ちなのかもしれないけれど、
というかそう半ば気付いてはいるのだけれど。
嫌いではないから遠ざけられないし。
離れていったら淋しいし。
我儘で振り回してるのは重々承知してるけど
このままの日々が続くのがいちばんいいや。
(ホントこんな人間のどこを気に入ったんですか?)
ああでも!
あの時返事をしていれば、と後悔する日がきらたどうしよう!
(堂々巡り)
以上、フィクションでお届けしました。笑
こんばんわ。
またしても上映が滞ってしまいました、朔です。
でも次は『年の差ひとつ。』の予定です。
てか実はもう書いてあります。
ただ公開してないだけ。
……今後の展開も考慮に入れつつ、手直ししたら公開します。
さてここからは、毎度のごとく京都に絡めてつれづれを。
↓にもあるように、10日の朔はバレンタイン一色だったわけですよ。
ハイ。何年かぶりの(笑)バレンタインは、14日を迎える前に朔の中では終了しました。笑
で、翌日11日。
この日は大学の同窓会でした。
朔のいた専攻は、入学試験からすでに専攻が決まっていて、3回生からさらに細かく分かれるというシステムです。
なので、25人の定員(前期試験のみ。後期ナシ。25人中5人は府内のみの推薦枠)で入学して、そのうち5人いた男子は全員脱落して、女子でも結構ドロップアウトとかいて、反対に編入してくる子とかいつつ、結局一緒に卒業した同回の子って……15人強?
一緒に卒業したメンバーの中では、前年の残りの人とかもいたし。
まぁそんなわけで、ちょーアットホームというか、同級生が何百人もいるという私立とか有名国立大学に比べるとすごいこじんまりとしていて、学生同士も学生と教授陣も、仲が良いのです。
今回の同窓会は、昼と夜の部に分かれていて、朔は昼のみの参加だったんですけど、7人いました。
夜からはさらに3人加わる予定だったらしい(結局どうなったのかは知らない)。
計10人、これって結構な参加率じゃないでしょうか?笑
参加者の内訳を見ると、北は北海道!から、南は山口まで。
でもやっぱり京都市内在住のコが圧倒的に多い。笑
院生のコやら、某百貨店で働いてるコ、公務員、銀行員……職種もいろいろ。
職業病にまつわる失敗談とか笑える話もたくさん。笑
みんな変わってなくて、すごい笑えた。
で、ちょっと思い出した。
去年の2月ってったら、夜のⅡ演で、笑いを必死に堪えながら横一列に並んで、恵方に向かって巻き寿司を黙々と食べてたなぁ、とか。
Ⅱ演で午前0時を廻ったことが何回あったかなぁ、とか。
そういえば、卒旅へ旅立ったのがちょうどバレンタインだった(機内食でチョコレートケーキが出てきたのが印象的で覚えてる)、とか。
ということは、その前日が勤務地決定だったから、そうか、今頃だったのか、とか。
一年てあっという間だった。
そして、みんなあまりにも変わってない。笑
ケバくなってたらどうしよう、とか密かに思ってたのに。笑
花見小路を少し入ったおばんざいの店でランチして、その後は八坂神社から円山公園を抜けてねねの道へ入り、いち、に、さんねん坂を辿るというお決まりの観光コース。
こんなベタな観光客用のルートを歩いたのは、実に3年ぶりくらいかもしれない。笑
それでも、府内出身者は逆に観光地のことを全く知らなくて(西陣に住んでる子が、祇園ハジメテ。とか言ってた)、それなり楽しんでもらえたようです。
それはそれで良かった。
いや、それにしてもどこもすごい人だった。
さすが三連休。
そういや八坂神社の門の修繕が終わったのは良かったんだけど、それにしてもあのいかにも真新しいという色に虚ろに笑ってしまった。
ちょっとショックかも。
そして、恋御籤を引いたんだけど、末吉だってさ。笑
朔のことを想ってくれてる人がいても、朔はそのことに気付きもしないんだってさ。
まぁ、そんなもんだよね。笑
逆に、気付きたくないっていうか。
話は大いに脱線して、YさんとEさんについて。
Yさんは朔の父親より年上で、すごい肩書をもった偉い人。
Eさんは朔より年上だけどそんなに離れてなくて、バイト時代から朔の天敵だった人(主に、バイト大人組の方々の寵愛を巡って。笑)。
10日はこの2人と昼・夜をそれぞれご一緒したんですけど、やっぱ中身が全然違うわ~。
Yさんとお話ししてると、朔が疑問に思ったことは何でも教えてくれるし、趣味の幅も広くていろんな話を聞かせてもらえて勉強になるし、物事に対する考え方とか、「へ~」がすごく多い。
一方のEさんは「おいおい」が多い。笑
もうちょっとしっかりしなさいよ、と思うことがすごく多いんです。
お気楽というか……。笑
でもそんなEさんとYさんが仲がいいのも事実なんですよね。
ふたりでキャッチボールとかよくしてるし。
結局去年の定茶にもふたりで来てくれたし。
そんなふたりの関係は上司と部下なわけで、じゃあEさんも、30年後にはYさんのようになるのか……
いやいや、それはどうだろう!!!???
絶対ならないんじゃないかなっ!
うん、絶対ならない気がします。
中身がまったくちがうふたりなんですけど、この1年、朔が頑張ってこられたのは、この人たちがいたからなんじゃないかな、と思ったんです。
なんというか、このふたりには、カッコ悪いとこを見せたくないんですよね。
仕事を本気で辞めたいと思ったことがないのも、そんな根性のないことをしたら、顔向けできない人がいる、と思ってたからかもしれない。
特にYさんは今年度後半になってから、ああ見守ってもらってるな、というのがひしひしと伝わってきたから、ものすごく励ましを貰った。
そしてEさんだけには負けたくないので、弱音を吐かなかった。笑
家族だったら、朔が本気で仕事が辛いって言えば、「辞めて戻っておいで」って言ってくれるかもしれない(……いや、うちの場合どうだろう……?)。
でも、遠くからでも見守っててくれる人がいるって思うと、辛いと思う前に、もっと頑張らなきゃって思えるから不思議だ。
YさんやEさんのほかにも、茶道の先生方や茶道部の後輩とか、朔がカッコ悪いとこを見せたくない、と思える人はたくさんいます(全部京都関連だ。笑)。
まぁ、見栄を張って虚勢を張ってるだけなんですけどね。笑
でもそれが原動力になってるなら、やっぱり人とのつながりって大切だなぁと思うのです。
そして、朔もそんな風に誰かを見守って応援できる人になりたいなぁと思うのです。
もうすぐ新社会人誕生の季節。
つらいこと、ホント多いと思います。
でも、誰かがきっと見守ってくれてるんで、途中で投げ出さずとりあえず続けてみましょう。
続けるからこそ見えてくるものが、必ずありますよ。
「たえて忍べばなす有り。」
京都は祇園北を流れる白川の橋のところに、なすあり地蔵菩薩が立ってます(つなビィに画像が)。
その説明の札を読んでいて、ホントしみじみそうだなぁと思いました。
つらい時には、応援してくれている人のことを思い出して、乗り切りましょう!
そうすれば結果はあとからついてくるのさ!
……と半ば自分へのエールになりつつ(笑)、今日はこの辺で。
ではでは。
またしても上映が滞ってしまいました、朔です。
でも次は『年の差ひとつ。』の予定です。
てか実はもう書いてあります。
ただ公開してないだけ。
……今後の展開も考慮に入れつつ、手直ししたら公開します。
さてここからは、毎度のごとく京都に絡めてつれづれを。
↓にもあるように、10日の朔はバレンタイン一色だったわけですよ。
ハイ。何年かぶりの(笑)バレンタインは、14日を迎える前に朔の中では終了しました。笑
で、翌日11日。
この日は大学の同窓会でした。
朔のいた専攻は、入学試験からすでに専攻が決まっていて、3回生からさらに細かく分かれるというシステムです。
なので、25人の定員(前期試験のみ。後期ナシ。25人中5人は府内のみの推薦枠)で入学して、そのうち5人いた男子は全員脱落して、女子でも結構ドロップアウトとかいて、反対に編入してくる子とかいつつ、結局一緒に卒業した同回の子って……15人強?
一緒に卒業したメンバーの中では、前年の残りの人とかもいたし。
まぁそんなわけで、ちょーアットホームというか、同級生が何百人もいるという私立とか有名国立大学に比べるとすごいこじんまりとしていて、学生同士も学生と教授陣も、仲が良いのです。
今回の同窓会は、昼と夜の部に分かれていて、朔は昼のみの参加だったんですけど、7人いました。
夜からはさらに3人加わる予定だったらしい(結局どうなったのかは知らない)。
計10人、これって結構な参加率じゃないでしょうか?笑
参加者の内訳を見ると、北は北海道!から、南は山口まで。
でもやっぱり京都市内在住のコが圧倒的に多い。笑
院生のコやら、某百貨店で働いてるコ、公務員、銀行員……職種もいろいろ。
職業病にまつわる失敗談とか笑える話もたくさん。笑
みんな変わってなくて、すごい笑えた。
で、ちょっと思い出した。
去年の2月ってったら、夜のⅡ演で、笑いを必死に堪えながら横一列に並んで、恵方に向かって巻き寿司を黙々と食べてたなぁ、とか。
Ⅱ演で午前0時を廻ったことが何回あったかなぁ、とか。
そういえば、卒旅へ旅立ったのがちょうどバレンタインだった(機内食でチョコレートケーキが出てきたのが印象的で覚えてる)、とか。
ということは、その前日が勤務地決定だったから、そうか、今頃だったのか、とか。
一年てあっという間だった。
そして、みんなあまりにも変わってない。笑
ケバくなってたらどうしよう、とか密かに思ってたのに。笑
花見小路を少し入ったおばんざいの店でランチして、その後は八坂神社から円山公園を抜けてねねの道へ入り、いち、に、さんねん坂を辿るというお決まりの観光コース。
こんなベタな観光客用のルートを歩いたのは、実に3年ぶりくらいかもしれない。笑
それでも、府内出身者は逆に観光地のことを全く知らなくて(西陣に住んでる子が、祇園ハジメテ。とか言ってた)、それなり楽しんでもらえたようです。
それはそれで良かった。
いや、それにしてもどこもすごい人だった。
さすが三連休。
そういや八坂神社の門の修繕が終わったのは良かったんだけど、それにしてもあのいかにも真新しいという色に虚ろに笑ってしまった。
ちょっとショックかも。
そして、恋御籤を引いたんだけど、末吉だってさ。笑
朔のことを想ってくれてる人がいても、朔はそのことに気付きもしないんだってさ。
まぁ、そんなもんだよね。笑
逆に、気付きたくないっていうか。
話は大いに脱線して、YさんとEさんについて。
Yさんは朔の父親より年上で、すごい肩書をもった偉い人。
Eさんは朔より年上だけどそんなに離れてなくて、バイト時代から朔の天敵だった人(主に、バイト大人組の方々の寵愛を巡って。笑)。
10日はこの2人と昼・夜をそれぞれご一緒したんですけど、やっぱ中身が全然違うわ~。
Yさんとお話ししてると、朔が疑問に思ったことは何でも教えてくれるし、趣味の幅も広くていろんな話を聞かせてもらえて勉強になるし、物事に対する考え方とか、「へ~」がすごく多い。
一方のEさんは「おいおい」が多い。笑
もうちょっとしっかりしなさいよ、と思うことがすごく多いんです。
お気楽というか……。笑
でもそんなEさんとYさんが仲がいいのも事実なんですよね。
ふたりでキャッチボールとかよくしてるし。
結局去年の定茶にもふたりで来てくれたし。
そんなふたりの関係は上司と部下なわけで、じゃあEさんも、30年後にはYさんのようになるのか……
いやいや、それはどうだろう!!!???
絶対ならないんじゃないかなっ!
うん、絶対ならない気がします。
中身がまったくちがうふたりなんですけど、この1年、朔が頑張ってこられたのは、この人たちがいたからなんじゃないかな、と思ったんです。
なんというか、このふたりには、カッコ悪いとこを見せたくないんですよね。
仕事を本気で辞めたいと思ったことがないのも、そんな根性のないことをしたら、顔向けできない人がいる、と思ってたからかもしれない。
特にYさんは今年度後半になってから、ああ見守ってもらってるな、というのがひしひしと伝わってきたから、ものすごく励ましを貰った。
そしてEさんだけには負けたくないので、弱音を吐かなかった。笑
家族だったら、朔が本気で仕事が辛いって言えば、「辞めて戻っておいで」って言ってくれるかもしれない(……いや、うちの場合どうだろう……?)。
でも、遠くからでも見守っててくれる人がいるって思うと、辛いと思う前に、もっと頑張らなきゃって思えるから不思議だ。
YさんやEさんのほかにも、茶道の先生方や茶道部の後輩とか、朔がカッコ悪いとこを見せたくない、と思える人はたくさんいます(全部京都関連だ。笑)。
まぁ、見栄を張って虚勢を張ってるだけなんですけどね。笑
でもそれが原動力になってるなら、やっぱり人とのつながりって大切だなぁと思うのです。
そして、朔もそんな風に誰かを見守って応援できる人になりたいなぁと思うのです。
もうすぐ新社会人誕生の季節。
つらいこと、ホント多いと思います。
でも、誰かがきっと見守ってくれてるんで、途中で投げ出さずとりあえず続けてみましょう。
続けるからこそ見えてくるものが、必ずありますよ。
「たえて忍べばなす有り。」
京都は祇園北を流れる白川の橋のところに、なすあり地蔵菩薩が立ってます(つなビィに画像が)。
その説明の札を読んでいて、ホントしみじみそうだなぁと思いました。
つらい時には、応援してくれている人のことを思い出して、乗り切りましょう!
そうすれば結果はあとからついてくるのさ!
……と半ば自分へのエールになりつつ(笑)、今日はこの辺で。
ではでは。
のだめ観ました~。
キャーーーーーッ!!だったのは、砂漠のプロメテウス作戦?のBGMがオルフのカルミナ・ブラーナだったこと!!
すばらしい!!
O Fortuna(おお、運命の女神よ)懐かしいです!
カルミナは、高2の定期演奏会で吹奏楽部の演奏で合唱したんです!
おお、我が青春の日々よー!って感じでした。笑
好きだ、好きだ、大好きだーーーー!!!
その他にも、思わず歌いたくなる曲がたくさんあって幸せな一時でした
だけど今回書きたいのはそのことじゃなくて。
原作をさらっと読んだ時はそんな感じなかったんだけど、ドラマではのだめの心情がものすごい良く分ったというか……。
つらいこととか壁にぶち当たっても、それでもピアノを弾かずにはおられない、というのだめの姿にはっとさせられました。
もはや「業(ゴウ)」のレベルなんじゃないかな、と。
ピアノから逃げるんじゃなくて、向き合うことで壁を越えようとしているのだめはすごい。
いろんな人から「何のために」と問われて最初は答えられないのだめだけど、そんな時でもピアノを辞めようという選択肢は微塵も思い浮かばなかったはず。
人が何かを乗り越えようとする時、何が出来るって、それまで通りコツコツ継続していくしかないんですよ。
社会人になって朔もそのことが骨身に沁みました。
継続は力なり、です。
学生時代もそう思ってましたけど、それは茶道とか好きなことの話で、社会人になってからは、大嫌いな仕事でさえも続けてたらなんとかなるんだなーという教訓。
ホント。朔さんは社会人になって初めて!「大嫌いなことを続ける」ということを学びました。
何か壁にぶつかった時、ヒーローが助けてくれるわけでもなく、天啓のような打開策が思い浮かぶわけでもなく、ある日突然物事が上手くいく、とか、そんなことは現実にはないんですよ。
苦しくっても、投げ出さずに続けていくしかないんです。
のだめカンタービレはギャグマンガ?のようで、そういうところをすごくシビアに描いてたんだな~、と思ったわけです。
リアルだー。
気付かなかった。
あ。ちなみに黒木君好きです笑
ではでは。
キャーーーーーッ!!だったのは、砂漠のプロメテウス作戦?のBGMがオルフのカルミナ・ブラーナだったこと!!
すばらしい!!
O Fortuna(おお、運命の女神よ)懐かしいです!
カルミナは、高2の定期演奏会で吹奏楽部の演奏で合唱したんです!
おお、我が青春の日々よー!って感じでした。笑
好きだ、好きだ、大好きだーーーー!!!
その他にも、思わず歌いたくなる曲がたくさんあって幸せな一時でした
だけど今回書きたいのはそのことじゃなくて。
原作をさらっと読んだ時はそんな感じなかったんだけど、ドラマではのだめの心情がものすごい良く分ったというか……。
つらいこととか壁にぶち当たっても、それでもピアノを弾かずにはおられない、というのだめの姿にはっとさせられました。
もはや「業(ゴウ)」のレベルなんじゃないかな、と。
ピアノから逃げるんじゃなくて、向き合うことで壁を越えようとしているのだめはすごい。
いろんな人から「何のために」と問われて最初は答えられないのだめだけど、そんな時でもピアノを辞めようという選択肢は微塵も思い浮かばなかったはず。
人が何かを乗り越えようとする時、何が出来るって、それまで通りコツコツ継続していくしかないんですよ。
社会人になって朔もそのことが骨身に沁みました。
継続は力なり、です。
学生時代もそう思ってましたけど、それは茶道とか好きなことの話で、社会人になってからは、大嫌いな仕事でさえも続けてたらなんとかなるんだなーという教訓。
ホント。朔さんは社会人になって初めて!「大嫌いなことを続ける」ということを学びました。
何か壁にぶつかった時、ヒーローが助けてくれるわけでもなく、天啓のような打開策が思い浮かぶわけでもなく、ある日突然物事が上手くいく、とか、そんなことは現実にはないんですよ。
苦しくっても、投げ出さずに続けていくしかないんです。
のだめカンタービレはギャグマンガ?のようで、そういうところをすごくシビアに描いてたんだな~、と思ったわけです。
リアルだー。
気付かなかった。
あ。ちなみに黒木君好きです笑
ではでは。