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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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2024.11.23 (Sat)
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「しからずんば」って、日常会話で使ってる人いたら会ってみたいワー。

 今日も今日とて、つれづれなるままによしなしごとを書かねばならんのですたい。
 ふぅ。

 なーにっかこ!

 金田一春彦氏の『ことばの歳時記』読み終わりましたー。
 一番笑ったのは「油断一秒怪我一生」の読み違えかなぁ。
 あれはキョーレツだった。笑
 えーっ?!って興味深く?思ったのが愛媛県の苗字の話。

 ふぅむ、と思ったのが、11月8日の「逝く秋の」である。
  逝く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひと片の雲  佐々木信綱
 歌を英訳すると…という手法で日本語の非能率性と芸術性に迫った回。
 カメラワークという視点から考えるというのは面白かったですねー。
 なるほどーという感じでした。
 
 でもまぁ全編通して感じたのは、やっぱり教養の違い、ですかねぇ。
 能、狂言、謡曲、歌舞伎……出るわ出るわ古典の世界。
 そもそもあの金田一氏と朔なんぞを比べるのが無理、というのはまぁ置いておくとして、
 本書の初版発行が昭和48年。
 この当時には、今よりずっとそういった古典的なものが日常生活にまだ色濃く残っていたのかなぁ、と思ったり。
「安宅」といわれて「あああの謡曲ね」と分かる読者が大勢いたからこそ、版を重ねてきたわけですよね?
 だってそうじゃなきゃ、本が売れませんもんね??

 朔は生まれてこのかたずっと核家族なので、家に老人がいる生活というものがどういうものか分からないのですが、
 父方の祖母は(朔が聞いたことあるだけでも)おどりと琴をやっていたらしく、祖父は寺の生まれ。
 そんな人たちと一緒に暮らしていたら、もしかしたら謡曲の〇〇が~とか歌舞伎の□□が~とか、そういうものが日常的に耳に入ってきたのかなぁ。
 母とかも、祖母へのプレゼントにこんぴら歌舞伎のチケット贈ってたしなぁ。
 今の朔たちには想像もつかないような、そういう古典的なものがもっと身近に、本当に庶民の娯楽としてあった時代って、本当はそんなに遠い過去のことではないのかもしれない。と思いました。
 うーん、まったく想像もつかないけれど。

 本書の中ではさらっと明治のこととかも書かれていて(金田一さん自身は大正生まれのよう)、なんだか不思議な感じでした。
 やっぱり、そんな「昔」のことではないのかもしれない。
 単に近現代の移り変わりが激しくなっただけで、純粋に時の流れで考えてみるならば。

 時代って、こうやって積み重なって順順に古くなっていくのだなぁ。
 そして、その時代の共通認識というものも、移ろってゆくものなんだろうなぁ。

 と思った次第でした。

ではでは。

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