ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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やっと後期展に行けました
皆さん、酒井抱一をご存知ですか?
朔は職場で「抱一、ほういつ」と名前だけは良く聞いていたのですが、高校で日本史も選択美術もやってないしで、酒井抱一のことは名前すら知りませんでした。
さすがに尾形光琳くらいは知ってましたが
で、そんな中、職場で手に入れたチケットで野村美術館の展示で観た「柿に鳥図」が、朔が初めてこの目で観た抱一の作品でした。
というか、展示の中で一番いいな~と思ったのが、抱一の作品だったのです
それまで正直、日本画に興味はなかったのですが、それで一気に抱一のファンになりました
今回の細見美術館の展覧会は、前・中・後期の全3回に分けての展示で、朔は前期と後期展に行ってきました。
どちらも目録と解説にかじりつくようにして観てきたのですが、朔の中でのthe best of 抱一は、「四季花鳥図巻」になりました
これ、巻物2巻にわたる作品なんですけど、繊細さが半端ない
どうしても展示が遠くなる掛軸とかと違って硝子の向こうすぐの距離で観られたので余計にそう思うのかもしれませんが、蜂とか鈴虫?の翅の透き通るような繊細さには身震いしました。
小さな花弁の1枚1枚の濃淡まで間近に観ることができて、いつまでもそこから離れたくありませんでした
特にすごいと思ったのが、すもも色?濃い桃色から淡いピンクまでグラデーションのようになっている花(花の名前なんて分からん)、そして隣には黄色い花(レンギョウ?って知らないおばさんが言ってたけど分かんない)と、次々に移り変わる様にも息をのみます。
本当にすごいです。
かと思えば、朝顔は思いっきりデフォルメ絵でギャップに笑ってしまう
会期は今月13日までなので、行けそうな方は是非行ってみて下さい
「四季花鳥図」は、一番最後の展示室の右側にあります
それにしても、抱一って、
家は姫路藩主(譜代大名)の家柄、
家を継いだ兄に見守られながら若い頃から遊郭で遊んだり(妻は吉原大文字楼の元遊女、小鸞)、
浮世絵描いたり、狂歌を詠んだり(号は「尻焼猿人‐シリヤケノサルンド‐」)、
兄亡き後、甥が当主になったら家に居づらくなって出家(数えで37歳)、
そこから本格的に琳派に傾倒していって、
55歳で光琳百回忌の中心人物になって自他共に認める琳派の後継者になる、
とか、いろいろと美味しすぎる
生家の酒井雅楽頭家は古くから文武両道の名家で、一時期光琳をお抱えにしていたこともあったようです。
抱一と蒔絵師の原羊遊斎が、どんなやりとりしながら一緒に作品を作りあげていったんだろうとか、当時を想像するだけで楽しいです
後期展では、光琳だけじゃなくて、その弟の乾山(陶工)のことも尊敬?してた(墓を探して碑をたてたり)のが分かったし
あぁ、楽しすぎる
…あまりにも素敵すぎて、意気揚々とミュージアムショップに進んだんですけど、あまりにも本物と色が違いすぎて、結局抱一関連は買いませんでした
無念じゃ
それにしても、やっぱり、植物を観て名前が分かるとか、草書か読めるとか、漢文の心得があるとか、和歌を知ってるとか、そういうのがないともどかしいなぁと痛感する展覧会でもありました
抱一の絵+当時の知識人の賛という作品が多数あったのですが、読めない……
あれ、なんて書いてあるのか自力で読めるだけで、ずいぶん作品の印象が変わると思うんですよね
せっかく書簡とかもあるのに、解説してくれてるほんの一部しか読めないとか
もったいないにも程がある
うぉ~……、書道を習うしかないのか……
皆さん、酒井抱一をご存知ですか?
朔は職場で「抱一、ほういつ」と名前だけは良く聞いていたのですが、高校で日本史も選択美術もやってないしで、酒井抱一のことは名前すら知りませんでした。
さすがに尾形光琳くらいは知ってましたが
で、そんな中、職場で手に入れたチケットで野村美術館の展示で観た「柿に鳥図」が、朔が初めてこの目で観た抱一の作品でした。
というか、展示の中で一番いいな~と思ったのが、抱一の作品だったのです
それまで正直、日本画に興味はなかったのですが、それで一気に抱一のファンになりました
今回の細見美術館の展覧会は、前・中・後期の全3回に分けての展示で、朔は前期と後期展に行ってきました。
どちらも目録と解説にかじりつくようにして観てきたのですが、朔の中でのthe best of 抱一は、「四季花鳥図巻」になりました
これ、巻物2巻にわたる作品なんですけど、繊細さが半端ない
どうしても展示が遠くなる掛軸とかと違って硝子の向こうすぐの距離で観られたので余計にそう思うのかもしれませんが、蜂とか鈴虫?の翅の透き通るような繊細さには身震いしました。
小さな花弁の1枚1枚の濃淡まで間近に観ることができて、いつまでもそこから離れたくありませんでした
特にすごいと思ったのが、すもも色?濃い桃色から淡いピンクまでグラデーションのようになっている花(花の名前なんて分からん)、そして隣には黄色い花(レンギョウ?って知らないおばさんが言ってたけど分かんない)と、次々に移り変わる様にも息をのみます。
本当にすごいです。
かと思えば、朝顔は思いっきりデフォルメ絵でギャップに笑ってしまう
会期は今月13日までなので、行けそうな方は是非行ってみて下さい
「四季花鳥図」は、一番最後の展示室の右側にあります
それにしても、抱一って、
家は姫路藩主(譜代大名)の家柄、
家を継いだ兄に見守られながら若い頃から遊郭で遊んだり(妻は吉原大文字楼の元遊女、小鸞)、
浮世絵描いたり、狂歌を詠んだり(号は「尻焼猿人‐シリヤケノサルンド‐」)、
兄亡き後、甥が当主になったら家に居づらくなって出家(数えで37歳)、
そこから本格的に琳派に傾倒していって、
55歳で光琳百回忌の中心人物になって自他共に認める琳派の後継者になる、
とか、いろいろと美味しすぎる
生家の酒井雅楽頭家は古くから文武両道の名家で、一時期光琳をお抱えにしていたこともあったようです。
抱一と蒔絵師の原羊遊斎が、どんなやりとりしながら一緒に作品を作りあげていったんだろうとか、当時を想像するだけで楽しいです
後期展では、光琳だけじゃなくて、その弟の乾山(陶工)のことも尊敬?してた(墓を探して碑をたてたり)のが分かったし
あぁ、楽しすぎる
…あまりにも素敵すぎて、意気揚々とミュージアムショップに進んだんですけど、あまりにも本物と色が違いすぎて、結局抱一関連は買いませんでした
無念じゃ
それにしても、やっぱり、植物を観て名前が分かるとか、草書か読めるとか、漢文の心得があるとか、和歌を知ってるとか、そういうのがないともどかしいなぁと痛感する展覧会でもありました
抱一の絵+当時の知識人の賛という作品が多数あったのですが、読めない……
あれ、なんて書いてあるのか自力で読めるだけで、ずいぶん作品の印象が変わると思うんですよね
せっかく書簡とかもあるのに、解説してくれてるほんの一部しか読めないとか
もったいないにも程がある
うぉ~……、書道を習うしかないのか……
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Comment
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コメントありがとうございます!
春海様、こんな閑古鳥の啼くブログにコメントを頂きましてありがとうございます。
気付くのが遅くなりまして申し訳ありません。
今確認してきましたが、どうやらA・Bコース共にすでに終了してしまっていたようです…。
もっと早くに気付けば良かったのですが。
しかしながら、大学で1年間必須科目として古文書の授業を受けつつもまったく読めるようにならなかった筋金入りの文字音痴の朔が、5回の授業で読めるようになれるのかどうか…。
またの機会を窺いつつ、書道を習うことを検討したいと思います……。
お心遣いありがとうございました!
気付くのが遅くなりまして申し訳ありません。
今確認してきましたが、どうやらA・Bコース共にすでに終了してしまっていたようです…。
もっと早くに気付けば良かったのですが。
しかしながら、大学で1年間必須科目として古文書の授業を受けつつもまったく読めるようにならなかった筋金入りの文字音痴の朔が、5回の授業で読めるようになれるのかどうか…。
またの機会を窺いつつ、書道を習うことを検討したいと思います……。
お心遣いありがとうございました!