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ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。          のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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午前3時半だけど。
2009.09.24 (Thu)
↓の記事に付け足し。

 白洲次郎さんが農業に勤しんでいるのを観て思った(感じた)こと。

  田畑で作物を作るのは、明日の為。
  学問を修めるのは、未来の為。

 じゃないのかな、っていうこと。


 農作業って、半年後(或いは一年後?)に自分が食べるのに困らないようにするための作業じゃないですか。
 ダイレクトに命に関わる仕事。
 食べなきゃ生きていけないから、どんな小さな子だって無学な人だって、農業の必要性は理解することが出来る。

 だけど勉強って、九九が暗誦出来たからって腹が膨れるわけでもない。
 どんな学位を取得したって、食べるものがなければ死んでしまう。
 だから、短絡的思考でいくと、勉強なんかしてる暇があれば畑の1つも耕せ、となってしまう。

 だけど、たしかに学問だけでは腹は膨れないけれども、学問の進歩がなければ、農業でも工業でもそれ以上の発展は望めない。
 技術が遅れ、どんどん周りに取り残されてゆくだけ。
 それでは、国としてやっていけないんですね。

 だから学問は、目先の利益(明日の食べるもの)だけを考えるんじゃなくて、もっと先の未来を見つめて地道に歩いていくしかないんだなぁ、と。
 長期的展望でないとやってられないってゆーか。

 戦中に田舎の農家へ引っ越し、地元の人に教えを請いながら農作業する白洲次郎さんを観て、そんなことを考え(感じ)ました。

 次郎さんが農業の師と仰いでいた青年が戦死し、その母親が次郎さんに紙を見せながら、自分は字が読めないけれど、ここには息子が立派に死んだって書いてあるんですよね?みたいなことを訊いて、次郎さんがそれに「フィリピンは九州よりももっと南の国です」と答える。
 そして母親が、自分は無学だけれど、あの子は算数がよく出来て、将来は学校の先生になりたいと言っていた……と顔をくしゃくしゃにして言う。

 そんな場面を観て、なんだか切なかったです。
 息子の戦死の報も自分の力では読むことすら出来ないなんて……。
(ひょっとしたら、母親がそうであって欲しいと思っていたような「お国のための名誉ある戦死」ではなくて、赤痢にやられて従軍することなく犬死した、という内容だったかもしれないのに、字が読めなければそれすら分からないんですよ……)


 農業は人間が生きていくことの根幹に関わる重要な仕事だけれど、やっぱりそれだけじゃあ、いけないと言うか。
 そここそが、人間が人間たる所以ですかね。

 人は、パンだけによらず、神の口からでるすべてのことばによって生きるのです。(マタイ4:4)

 とまでいくと行きすぎな気もしますが。笑


 とにかく今、受験生の子たちに、勉学に励むというのは必ず将来につながることなんだと、……分かってほしいです、切実に。

 えー、あそこの制服可愛くないから行く気がしな~い(=勉強する気が起こらない)……とか言って逃げてる場合じゃないんだよ……!!

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