ここは朔が支配人を務める劇場《閑古鳥の啼く朝に》のサロンです。上映案内から、日々のつれづれ事まで。 のんびりまったり更新中。renewal:07/05/02
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中学か高校か、はたまた小学校だったかもしれないけど、国語の教科書に室生犀星の「小景異情 そのニ」が載っていた。
ふるさとは遠くにありて思うもの
そして悲しく歌うもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都の夕暮れに
ふるさと思い涙ぐむ
その心もて
遠き都へ帰らばや
遠き都へ帰らばや
たしか、こんな詩だ(暗記したものを載せてみたが、覚え間違いがあるかもしれない。勝手に口語訳とか。助詞ががいまいち自信なし。「遠き都に」だったかも。あと連は勝手に構成させてもらった)。
この詩を習った時、朔はそれまでに引っ越しも転校も経験したことがなく、むろん「ふるさと」を離れたこともなかったのだが、なぜか胸が締め付けられるような衝撃を受けた。
たとえ外国でお金が無くなって乞食になったとしても、ふるさとは帰る場所じゃない、と言っているのだ。
遠い都会の空の下で、「ああ、ふるさとが懐かしいなぁ」と涙ぐみながら、それでも歯をくいしばって、ひとりで生きていくのだ。
「遠き都へ帰らばや」。
ふるさとを懐かしく恋い慕いながらも、「遠い都へ帰りたい(「ばや」は希望の終助詞)」と、本心とは逆のことを願うのだ。
ふるさとに帰りたい、心の平安を得たい、と望みながら、しかしその心を、自分の意志でねじ伏せ、逆に、都会で生きるための拠り所とする。
「ふるさとには決して戻れない」という決意が、人を強くする。
これほどまでに、ひとりで生きていくんだ、という人間の孤独と気高さを美しく切なく表現したものを、朔は知らない。
大好きなんだ。
なぜか心に迫ったんだ。
朔は3人姉弟の長女として生まれ、年の離れた妹弟が年子で手が掛かるため、小学生低学年の頃から、親からはほぼノータッチで育ってきた。
勉強しろとか、成績とか進学先のこととか、口出しされたことがない。
「〇〇ちゃんなら大丈夫」「あの子はしっかりしてるから」と、信頼という名の下に放任されてきた。
朔が家を離れるとき、妹はまだ中学2年生だった。
これからいよいよ受験生、という春休みだ。
成績の方は(朔に比べると)お世辞にも良いとは言えず、母は朔の一人暮らしよりも、妹の進学先を心配していた。
朔の一人暮らし1年生は、妹の高校受験1年生とともにはじまった。
それまで朔が実家で使っていた部屋は妹の勉強部屋となった。
使っていたベッドは、妹のベッドになった。
勉強机は、母たちの寝室の隅に片付けられた。
夏休み前には母から「帰ってきても寝るとこないよ。どうせ手伝いもせんと一日中家におって、(妹の)勉強の邪魔しとんとちゃうん?」と笑いながら冗談半分に言われ、朔も「めんどくさいな~。まぁたまには帰ってやるか~。精々美味しいもん食べさせてよ」と軽口を叩く。
偉そうに自信過剰に軽口は言えても、弱音を吐くとか、悩みを相談するとか、そんなことは家族にはできない。
勉強ができて、ひとりで何でも決めて実行しないと、家族の知ってる「朔」じゃない。
そういう朔を母が自慢に思ってるのも知ってるし、信頼してくれてるのも知ってる。
妹たちだって、少しは誇りに思ってくれてると思う。
実際朔だって、好きなように自分で決めて道を切り開いてきたことに、満足している。
でも、だからこそ。
家族は、ふるさとは、朔の帰る場所ではなくなった。
槇原敬之の『遠く遠く』という歌に、次のような歌詞がある。
同窓会の案内状 欠席に丸をつけた
誰よりも今はみんなの顔 見たい気持ちでいるけど
遠く遠く 離れていても 僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日を この街で迎えたい
僕の夢を叶える場所は この街と決めたから
家族は、ふるさとは、やさしく抱きとめてくれる存在でなくてもいいんだ。
遠くから、輝いている自分を見ていて欲しいんだ。
逃げ込んだり、甘えたりする場所じゃないんだよ。
べつに錦を飾って帰ろうって見栄を張ってるわけじゃない。
家族を、ふるさとを離れてひとりで生きていく朔を、そっと見ていて欲しいんだ。
それ以上は何も望まないから。
たまに顔を見せに「立ち寄る」くらいが丁度いい。
もう一度一緒に暮らしたいとか、そんなこと思わない。
ただ、いつまでも家族の一員として、「うちの娘は頑張ってるんよ」とか
「〇〇ちゃん、すごいんで」と言ってもらえる存在でありたい。
家族に誇ってもらえる存在でいたいんだ。
本当に。立ち寄るくらいが丁度いい。
長く一緒にいると、なぜかどんどん胸が苦しくなる。
遠くにいて、たまに電話やメールでやりとりするほうが、ずっといい。
「帰る」場所ではないのだと、痛感する。
帰りたい場所は、むしろ京都。
ふるさとは遠くにありて思うもの
そして悲しく歌うもの
家にいない人間の居場所が徐々に消えていくのは当たり前だ。
仕事がつらいから辞めて、実家に帰りたいとか思わない。
もうあの家に、朔の居場所はない。
それがよく分かっているから。
朔は、今、この場所で光り輝きたいんだ。
そしてそれを、遠くから見ていて欲しいんだ。
見ていてくれる人がいるから、期待してくれている人がいるから、つらくても頑張れるんだよ。
ふるさとは、帰る場所じゃなくていい。
そこに、在ってくれるだけで、いい。
朔の生きる場所は、遠く離れたこの街だから。
ふるさとは遠くにありて思うもの
そして悲しく歌うもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都の夕暮れに
ふるさと思い涙ぐむ
その心もて
遠き都へ帰らばや
遠き都へ帰らばや
たしか、こんな詩だ(暗記したものを載せてみたが、覚え間違いがあるかもしれない。勝手に口語訳とか。助詞ががいまいち自信なし。「遠き都に」だったかも。あと連は勝手に構成させてもらった)。
この詩を習った時、朔はそれまでに引っ越しも転校も経験したことがなく、むろん「ふるさと」を離れたこともなかったのだが、なぜか胸が締め付けられるような衝撃を受けた。
たとえ外国でお金が無くなって乞食になったとしても、ふるさとは帰る場所じゃない、と言っているのだ。
遠い都会の空の下で、「ああ、ふるさとが懐かしいなぁ」と涙ぐみながら、それでも歯をくいしばって、ひとりで生きていくのだ。
「遠き都へ帰らばや」。
ふるさとを懐かしく恋い慕いながらも、「遠い都へ帰りたい(「ばや」は希望の終助詞)」と、本心とは逆のことを願うのだ。
ふるさとに帰りたい、心の平安を得たい、と望みながら、しかしその心を、自分の意志でねじ伏せ、逆に、都会で生きるための拠り所とする。
「ふるさとには決して戻れない」という決意が、人を強くする。
これほどまでに、ひとりで生きていくんだ、という人間の孤独と気高さを美しく切なく表現したものを、朔は知らない。
大好きなんだ。
なぜか心に迫ったんだ。
朔は3人姉弟の長女として生まれ、年の離れた妹弟が年子で手が掛かるため、小学生低学年の頃から、親からはほぼノータッチで育ってきた。
勉強しろとか、成績とか進学先のこととか、口出しされたことがない。
「〇〇ちゃんなら大丈夫」「あの子はしっかりしてるから」と、信頼という名の下に放任されてきた。
朔が家を離れるとき、妹はまだ中学2年生だった。
これからいよいよ受験生、という春休みだ。
成績の方は(朔に比べると)お世辞にも良いとは言えず、母は朔の一人暮らしよりも、妹の進学先を心配していた。
朔の一人暮らし1年生は、妹の高校受験1年生とともにはじまった。
それまで朔が実家で使っていた部屋は妹の勉強部屋となった。
使っていたベッドは、妹のベッドになった。
勉強机は、母たちの寝室の隅に片付けられた。
夏休み前には母から「帰ってきても寝るとこないよ。どうせ手伝いもせんと一日中家におって、(妹の)勉強の邪魔しとんとちゃうん?」と笑いながら冗談半分に言われ、朔も「めんどくさいな~。まぁたまには帰ってやるか~。精々美味しいもん食べさせてよ」と軽口を叩く。
偉そうに自信過剰に軽口は言えても、弱音を吐くとか、悩みを相談するとか、そんなことは家族にはできない。
勉強ができて、ひとりで何でも決めて実行しないと、家族の知ってる「朔」じゃない。
そういう朔を母が自慢に思ってるのも知ってるし、信頼してくれてるのも知ってる。
妹たちだって、少しは誇りに思ってくれてると思う。
実際朔だって、好きなように自分で決めて道を切り開いてきたことに、満足している。
でも、だからこそ。
家族は、ふるさとは、朔の帰る場所ではなくなった。
槇原敬之の『遠く遠く』という歌に、次のような歌詞がある。
同窓会の案内状 欠席に丸をつけた
誰よりも今はみんなの顔 見たい気持ちでいるけど
遠く遠く 離れていても 僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日を この街で迎えたい
僕の夢を叶える場所は この街と決めたから
家族は、ふるさとは、やさしく抱きとめてくれる存在でなくてもいいんだ。
遠くから、輝いている自分を見ていて欲しいんだ。
逃げ込んだり、甘えたりする場所じゃないんだよ。
べつに錦を飾って帰ろうって見栄を張ってるわけじゃない。
家族を、ふるさとを離れてひとりで生きていく朔を、そっと見ていて欲しいんだ。
それ以上は何も望まないから。
たまに顔を見せに「立ち寄る」くらいが丁度いい。
もう一度一緒に暮らしたいとか、そんなこと思わない。
ただ、いつまでも家族の一員として、「うちの娘は頑張ってるんよ」とか
「〇〇ちゃん、すごいんで」と言ってもらえる存在でありたい。
家族に誇ってもらえる存在でいたいんだ。
本当に。立ち寄るくらいが丁度いい。
長く一緒にいると、なぜかどんどん胸が苦しくなる。
遠くにいて、たまに電話やメールでやりとりするほうが、ずっといい。
「帰る」場所ではないのだと、痛感する。
帰りたい場所は、むしろ京都。
ふるさとは遠くにありて思うもの
そして悲しく歌うもの
家にいない人間の居場所が徐々に消えていくのは当たり前だ。
仕事がつらいから辞めて、実家に帰りたいとか思わない。
もうあの家に、朔の居場所はない。
それがよく分かっているから。
朔は、今、この場所で光り輝きたいんだ。
そしてそれを、遠くから見ていて欲しいんだ。
見ていてくれる人がいるから、期待してくれている人がいるから、つらくても頑張れるんだよ。
ふるさとは、帰る場所じゃなくていい。
そこに、在ってくれるだけで、いい。
朔の生きる場所は、遠く離れたこの街だから。
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